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「手紙が繋ぐ時間(とき)」 2024年11月29日




早いもので、今日は金曜日。


今週は11月27日、リアルベースキャンプ特別版「YAKINIKUMAFIA IKEBUKURO」さんにて、大好きな塾生たちと一緒に素敵な時間を共有できました。


何よりも、鴨頭嘉人さん、ヒロキングさん、ステージパフォーマーの皆様と一緒に、本当に素敵な空間で楽しくて美味しくて幸せな時を過ごせました。


今朝一番でVoicyを聞きました。鴨頭嘉人さんが11月27日の特別版ベースキャンプのことを語ってくださっておりました。塾生の成長・変化、そして過去に出会っていた女性たちが、どんどん美しく輝いていらっしゃることも語ってくださいました。本当にありがたいなと思います。鴨頭嘉人さんには感謝しかないです。


前回、私の30分講演も誰よりも熱心な姿勢で聞いてくださり、そしてその時に私が発信した言葉もしっかり覚えてくださってました。「錯覚資産」。これはふろむださんの書籍から、1%の勝者になるための実践講座で小島社長から教わったメッセージではありますが、まさに「錯覚資産」って大事です。


やっぱり、人は見た目が9割。

パッと見た瞬間に私たちは相手にどんな印象を与えてるのかっていうことですよね。

どんなにしんどい、辛い、苦しかったとしても、その辛い、苦しい、しんどさを見せない。何があっても正々堂々、ニコニコ笑顔で笑ってると「この人は明るい人だな」と思われます。


私も35歳の時が人生のどん底でした。そのしんどい、辛い、苦しいを一切見せないと決めました。4000万円の借金があったことを語ったのは、初めて出した22年前に出した1冊目の書籍「不思議と説得力のあるセールストークの秘密」っていうこの本に初めて書きました。びっくりしてました。

「えっ!そんなことがあったんですね」

はい、しんどいからこそ胸を張る。辛いからこそ笑う。心と逆をやること、これとっても大切なポイントです。



「錯覚資産」のことも鴨頭さんはしっかり語ってくださっております。

ぜひ皆さん、鴨頭嘉人さんのVoicy、是非とも聞いてくださいね。


笑顔でいると人が集まります。姿勢や美しさは学んで、後付でも身につけるものです。自分を美しい状態や笑顔で表現することも大事です。笑顔でいると人が集まります。そして、その人の次の場所に、その笑顔があるからこそ、その人を次の場所に連れてってくれるんです。

美しい姿勢や美しい笑顔、美しさは学んで身につけるものであって、天から与えられたものだけではないんです。


苦しい時に胸を張る。そして口角を上げ、私たちの示唆してもあげること。しんどい時、辛い時、苦しい時、そんな時こそ胸を張って、視座を上げ、口角を上げ、自分にも周りにもポジティブなメッセージを送ること、ぜひ意識していけたらなと思います。


コロナ禍において、いろんな大変なことがVoicyリスナーの皆様にもあったのではないですようか。鴨頭嘉人さんの大変な時は、私も音声メディアVoicyを通して気づいておりましたし、絶対に人には見せない!その苦しさは、やはり同じ創業経営者という立場だからこそ感じるものもありました。


今日コメント欄にあるメッセージ、是非ともリスナーの皆さん、最後までしっかりお聞きくださいね。今日は金曜日です。ぜひ最後の最後の最後まで、コメント返信までお聞きいただきたいなと思います。

是非とも鴨頭嘉人さんのVoicyもお聴きください。このチャプター欄には、鴨さんのVoicyのURLを貼らせていただきます。

昨日、横井杏波がアップしておりますブログも是非見てください。塾生たちの美しい笑顔、その笑顔の裏には人には言えない大変なことをみんな抱えてたんです。今もそうですよ。今も大変なことを抱えていながらも頑張る姿が美しい。



本日は友人から届いた1つのメッセージを、私の声で読ませていただきます。


今日は金曜日。1週間が経つのが本当に早いですよね。何よりも今週は早いなと感じております。こうやって1日1日が、あっという間に過ぎていきます。

あと何回、大好きな人と会えるんですようか。あと何回、自分が好きな人と共に大好きなお酒を飲めるんですようか。そう思うと、やっぱり1回1回が大事です。今日のお話、エピソード、ぜひお聞きください。


11月の冷たい風が吹きすさぶ午後、サキは祖母の家で一人、古い木製の箪笥を整理していた。数年前に亡くなった祖母の遺品整理を頼まれたのだが、サキにとっては懐かしい思い出と向き合う時間だった。


引き出しの中からかすかに薫る懐かしい布の匂いと共に、一つの封筒が出てきた。それは彼女が15歳の時、父からもらった手紙だった。父はサキが高校に進学する直前、心臓発作で突然この世を去った。仕事を一筋で家にいる時間は少なかったものの、サキが小さな頃からその背中を見て育った。


厳格で感情をあまり表に出さない父だったが、その分、何かを伝えたい時は手紙を書く人だった。この手紙もそうだった。高校進学を前に進路のことで意見が合わず、言い争いになった翌日、父は「これだけは」と言って手紙を渡してきた。だが反抗期の真っただ中にあったサキは、その手紙を読むことすらせず、引き出しの奥にしまいこんでしまったのだ。


「今更だけど読んでみようかな」


手紙の表面に書かれた父の筆跡を見ていると、なぜか心が落ち着いた。少し震える手で封を切り、中の便箋を広げる。


「サキへ。お前がこの手紙をいつ読んでいるのか、正直なところわからない。でもお父さんはどうしても伝えたいことがあって書いた。

お前は昔から頑張り屋で、やり始めたことは最後までやり遂げる子だったね。でもそれがプレッシャーになって自分を追い詰めることもあるんじゃないかと心配していた。人生は頑張るだけじゃなく、一息つくことも必要だ。

そしてどんな道を選んでも、そこに正解も不正解もない。お前が選んだ道がお前の正解になるんだよ。それから、たとえ遠く離れていてもお父さんはいつもお前の味方だ。どんな時もお前が笑っていられる人生を願っている」


手紙を読み終えると、サキの目には涙が溢れていた。あの日の自分を思い返す。ぶつかり合うことでしか気持ちを伝えられなかった自分。それでも父は自分を心から信じてくれていたのだと初めて知った。

涙を拭きながらサキは心に誓った。「これからは正解を探すのではなく、自分が信じた道をまっすぐ進もう。どんなことがあっても自分の足で立ち、父が背中を押してくれたこの人生を歩み抜こう」


その日の夕暮れ、冷たい風に乗って暖かな日差しが差し込んできた。窓辺でその光を浴びるサキの頬に、穏やかな微笑みが浮かんでいた。それはまるで「よくやってるよ」という父の声が届いたかのようだった。



いかがでしたか?

若い時は未熟で、親がどんな思いで自分を愛してくれてたのか、厳しいことを言ってくれたのか、未熟な時はわからない。後になって、後になって気づくんです。


本当に愛されてたんだなって。

大事に思われてたんだなって。

親孝行にしすぎはない。

親孝行に終わりはない。

親に対する態度が全て。


是非ご両親にできる限りの親孝行してくださいね。

私はもう父と母と会話をすることもできないです。

ですが、見守られてるなと思います。

さらに皆さん、ご両親を大事にしてください。

私の分まで、お父様、お母様との時を大切にしてください。

親孝行、いっぱいしてくださいね。





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