勉強は誰のためにするのだろうか。 世のため人のためではない、ひたすら自分のためである。 何のために一流大学を目指すのか?自分が幸せになるためだ。 何のために数学を勉強するのか?自分が幸せになるためだ。 何のために哲学を勉強するのか?自分が幸せになるためだ。 アルベルト・アインシュタインは、自分のために物理学に没頭したし、ピカソは自分のために絵を書いた。村上春樹氏は自分のために小説を書き、〇〇は自分のために本を書いている。 ひたすら自分のためでいいのだ。 結果として、巡り巡って世のため人のためになることもあると言うに過ぎない。 これはいくら強調しても足りないくらい大切なことである。最初から世のため人のために勉強すると言うのは、実にいやらしい、恩着せがましい。世のため人のために勉強をしない。 大切なことは、自分が意味嫌うことをせずに、大好きなことだけを堪能できる人生を想像しその通りに歩むことだ。 一流の世界の住人が滅多に公道をほっつけあるかないのは、四流とすれ違って不快になりたくないからである。言っておくが、これは冗談ではない。1秒でも不快を味わいたくないのが一流の住人なのだ。 本当はおごりたくないのに、奢り続けていると全員不幸になる。 私がサラリーマン時代を通して、ベスト10に入るぐらいに貴重だと思える知恵は、安易に奢ってはならないと言うものだ。これは私自身の体験と言うよりも、傍観者として気づかされた貴重な知恵である。 当時の私の直属の上司は裕福な一族のメンバーの一人だった。本当はサラリーマンなどやらなくても贅沢三昧の生活ができるのに、趣味でサラリーマンをやっていたような人である。さらに彼は独身だったと言うこともあり、時間とお金を持て余していた。だから彼は部下にどんどんおごり、部下たちもそれが当たり前と思うようになっていたのだ。 私も一応経営者の息子だから、こう言う金銭感覚には敏感である。どのくらい敏感なのかは、他人と比較したことがないのでわからないが、その上司の奢り方を見ていて、違和感を覚えるほどには敏感だった。私から見たら、同僚や先輩社員たちはよくこう漏らしていたのだ。 上司は「どうせ独身でお金が余ってるからいいでしょう。」 「実家が金持ちだから、奢って当然!」 私の違和感は時が経つとそのまま具現され、毎年のように部下や先輩社員は、その上司を裏切って移動願いを
あまり マイナスの話はしたくない私ではありますが、これはどうしてもシェアしておきたいなと思う事柄がありました。Voicyリスナーの皆様にお伝えさせてください。 10時30分ラストオーダーのお寿司屋さんに入った時のことです。 時間は10時10分、夜の10時10分。 そのタイミングに、ほんの少しだけビールを飲んでおつまみを頼んで、そして少しだけお寿司食べたいなと思って入りました。 「ラストオーダー10時半ですがよろしいですか?」 「はい、大丈夫です」 カウンター席に座らせていただきました。そしてビールを1本頼んで、おつまみを取って、そしてお寿司を食べて、気持ちよく最後の1日を振り返りながら非常に一人時間を堪能してたタイミング。 そのタイミング、私はカウンター席にいたということもありまして、厨房の中にいらっしゃる板さんが片付けを始めました。ボックス席にはまだまだたくさんお客様がいらっしゃいました。そしてまた次から次へと海外のお客様が入って来られます。その度にお断りをされていました。 そんな中、板さんが片付けるお姿があまりにも衝撃的だったんです。本当にショーケースの中にあるネタを、きっとそのネタは明日のお寿司に使うネタです。そのお寿司のネタをバットの中にバサ!バサ!バサ!と、まるで物を捨てるようにバットの中に入れ、そして音をガチャガチャと鳴らしながら片付けをするその様。 その時私は最後の締めの巻物を食べてました。冷茶お願いしたところ「有料ですがいいですか?」って言われたので「はい、結構です」ということで、有料で冷茶を頼んで、そして最後の締めの巻物を食べてる時、食べ終わった後にその方が 「今度はゆっくり来てくださいね」 とおっしゃいました。 私はその時、食べ終わった後に一言だけ、本来言うべきことではなかったのかもしれませんが、どうしても気になったがゆえに、そこの胸元にあった名札を見ながら 「〇〇さん、最後の片付けがあまりにも乱暴でびっくりしました。〇〇社長、悲しまれます」って言って、そして席を立ち、21年間通っていたお店っていうこともあって、レジには昔馴染みのお姉さんがいらっしゃったがゆえに 「最後の後片付けがあまりにも乱暴すぎて残念でした」 ていうことは、言葉に出させていただきました。 その店ができる前から知っていて、その店ができてからも社員と共に何回も行き、たくさんのエピ