「自信」 どんなに揺れても折れない心 何かを絶対にうまくやれると言う確信が、「自信」であるように錯覚している人が多いが、そんなのは過信に過ぎず持たなくても良い心だ。 どんなことだって、絶対にうまくいくとは言えない。極端に言えば、あと数分後に自分が必ず元気であると言う保証も、生きていると言う保証もないし、地球があると言う保証すらない。誰にとっても一寸先は闇が現実だ。だから、そんな絶対うまくいくと言う「自信」など、誰にも思ってなくて当然である。 では「自信」とは何か? それは自尊の念ととても近い。 もう一人の自分から見て、根気よく丁寧に集中して誠実に行ってきたなあと思えるようなことに対して、今この時点でのベストは尽くしたなあと思える感情が「自信」である。 だから結果が伴わないことがあっても、仕方がないと言う諦念や潔さもセットである。もちろん、なかなかそんな風には思えない。しかし、少なくとも最後は「100転び 1起き」でいいんだと言う覚悟もセットであるべきだ。話入れながら安定。 法隆寺の五重塔が1400年以上も倒れなかった理由がわかる? すごく丈夫に作ってあったから!? 実は揺れやすいからなんだ。 高い建物が倒れる一番の原因はやはり地震だけど、揺れない建物ほど、揺れの大きさがあるところまで来ると崩壊しやすいんだ。 それに対して五重塔は、揺れやすいからこそ、地震の揺れをうまく乗り切れたんだ。この大昔の建物の構造を真似したのが東京スカイツリーなんだよ。高層ビルの耐震構造も皆揺れると言うことなんだ。 つまり揺れながら安定してるのが五重塔でありスカイツリーなんだ。 人間だって同じ! 悩んだり迷ったりして、いつも揺れてる人の方が案外強いものなんだ。 逆に信念を曲げない一徹の人と言うのは、見た目は強そうでも、案外ポキッといってしまうものなんだよ。特に悩みやすい人、揺れながら安定が一番強いんだって覚えておこう。いくら揺れても倒れなきゃいいんだから。 よって揺るぎない信念などと言うものは、現実的ではない。 ではどう考えれば良いか? 揺れながら安定が一番強いのだと思うことである。「自信」と言うと微動だにしない、直立した建物のイメージかもしれないが、それは実際には強くない。揺れても倒れるところまではいかないと言うのが建物の強さであり、同様のことが人間にとっても最大の「自信」であるといえる
あまり マイナスの話はしたくない私ではありますが、これはどうしてもシェアしておきたいなと思う事柄がありました。Voicyリスナーの皆様にお伝えさせてください。 10時30分ラストオーダーのお寿司屋さんに入った時のことです。 時間は10時10分、夜の10時10分。 そのタイミングに、ほんの少しだけビールを飲んでおつまみを頼んで、そして少しだけお寿司食べたいなと思って入りました。 「ラストオーダー10時半ですがよろしいですか?」 「はい、大丈夫です」 カウンター席に座らせていただきました。そしてビールを1本頼んで、おつまみを取って、そしてお寿司を食べて、気持ちよく最後の1日を振り返りながら非常に一人時間を堪能してたタイミング。 そのタイミング、私はカウンター席にいたということもありまして、厨房の中にいらっしゃる板さんが片付けを始めました。ボックス席にはまだまだたくさんお客様がいらっしゃいました。そしてまた次から次へと海外のお客様が入って来られます。その度にお断りをされていました。 そんな中、板さんが片付けるお姿があまりにも衝撃的だったんです。本当にショーケースの中にあるネタを、きっとそのネタは明日のお寿司に使うネタです。そのお寿司のネタをバットの中にバサ!バサ!バサ!と、まるで物を捨てるようにバットの中に入れ、そして音をガチャガチャと鳴らしながら片付けをするその様。 その時私は最後の締めの巻物を食べてました。冷茶お願いしたところ「有料ですがいいですか?」って言われたので「はい、結構です」ということで、有料で冷茶を頼んで、そして最後の締めの巻物を食べてる時、食べ終わった後にその方が 「今度はゆっくり来てくださいね」 とおっしゃいました。 私はその時、食べ終わった後に一言だけ、本来言うべきことではなかったのかもしれませんが、どうしても気になったがゆえに、そこの胸元にあった名札を見ながら 「〇〇さん、最後の片付けがあまりにも乱暴でびっくりしました。〇〇社長、悲しまれます」って言って、そして席を立ち、21年間通っていたお店っていうこともあって、レジには昔馴染みのお姉さんがいらっしゃったがゆえに 「最後の後片付けがあまりにも乱暴すぎて残念でした」 ていうことは、言葉に出させていただきました。 その店ができる前から知っていて、その店ができてからも社員と共に何回も行き、たくさんのエピ