それでは、本日 voicy の皆様にお届けするメッセージお聞きください。 恐らく聞きながら「あっ!これは〇〇さんの言葉だな!」と言うことを敏感にキャッチされるのではないかなと思います。 どうぞ! 「不満に思うか、ありがたいと乗り越えるか」 僕は現役の選手時代、 一人前になりたいという思いがとても強かったのですが、 成功できないまま二十九歳で引退しました。 選手として才能が発揮できなかった分、 その後は野球解説などマスコミの仕事に がむしゃらに打ち込むようになったんです。 最後の三年間、 「熱闘甲子園」という番組を担当した時も、 とにかく必死でした。 この年齢になって、 高校球児に関わらせてもらうことへの意味を感じ、 高校生たちに敬語を使って取材をする中で 出会ったのが当時高校一年生だった大谷翔平であり、 彼を育てた花巻東高校監督の 佐々木洋さんだったんです。 この縁がなかったら、 彼はファイターズに来てくれなかったかもしれませんね。 僕は本当に野球が好きなので、 北海道に自分で野球場をつくったりもしました。 「何でそんなことをしているのですか」 と揶揄されながらも、自ら種を蒔いて 子供たちのための天然芝の球場をつくりました。 思わぬ監督のオファーが来たのも、 そうやって必死になっている姿を 神様が見ていてくださったからではないか、 と思うことがあります。 考えてみれば、苦しい時にそれを不満に思うか、 ありがたいと思って乗り越えるか。 この二つの違いは実に大きいですね。 実は僕自身、ダメな選手だった時に、 ある人によって助けられた思い出があります。 入団した年、優秀な二軍選手が何人もいる中で、 テスト生の僕は誰からも相手にされませんでした。 しかし、二軍監督の内藤博文さんだけは練習が終わると 「栗、やろうか」とノックを打ってくれたり、 ボールを投げてくれたり、 いつも練習に付き合ってくださったんですね。 その年の一軍が開幕すると、 僕と同期で入ったドラフト一位指名の高野光が すぐに開幕投手に選ばれました。 悔しくて、さらに落ち込んでいる僕に 内藤さんは「栗、人と比べるな」と ひと言声を掛けてくださったんです。 「俺は、おまえが少しだけでも 野球が上手くなってくれたら、 それで満足なんだ」 と。 その頃の僕は、中学生に負けるくらい 野球が下手になっているんじゃな
あまり マイナスの話はしたくない私ではありますが、これはどうしてもシェアしておきたいなと思う事柄がありました。Voicyリスナーの皆様にお伝えさせてください。 10時30分ラストオーダーのお寿司屋さんに入った時のことです。 時間は10時10分、夜の10時10分。 そのタイミングに、ほんの少しだけビールを飲んでおつまみを頼んで、そして少しだけお寿司食べたいなと思って入りました。 「ラストオーダー10時半ですがよろしいですか?」 「はい、大丈夫です」 カウンター席に座らせていただきました。そしてビールを1本頼んで、おつまみを取って、そしてお寿司を食べて、気持ちよく最後の1日を振り返りながら非常に一人時間を堪能してたタイミング。 そのタイミング、私はカウンター席にいたということもありまして、厨房の中にいらっしゃる板さんが片付けを始めました。ボックス席にはまだまだたくさんお客様がいらっしゃいました。そしてまた次から次へと海外のお客様が入って来られます。その度にお断りをされていました。 そんな中、板さんが片付けるお姿があまりにも衝撃的だったんです。本当にショーケースの中にあるネタを、きっとそのネタは明日のお寿司に使うネタです。そのお寿司のネタをバットの中にバサ!バサ!バサ!と、まるで物を捨てるようにバットの中に入れ、そして音をガチャガチャと鳴らしながら片付けをするその様。 その時私は最後の締めの巻物を食べてました。冷茶お願いしたところ「有料ですがいいですか?」って言われたので「はい、結構です」ということで、有料で冷茶を頼んで、そして最後の締めの巻物を食べてる時、食べ終わった後にその方が 「今度はゆっくり来てくださいね」 とおっしゃいました。 私はその時、食べ終わった後に一言だけ、本来言うべきことではなかったのかもしれませんが、どうしても気になったがゆえに、そこの胸元にあった名札を見ながら 「〇〇さん、最後の片付けがあまりにも乱暴でびっくりしました。〇〇社長、悲しまれます」って言って、そして席を立ち、21年間通っていたお店っていうこともあって、レジには昔馴染みのお姉さんがいらっしゃったがゆえに 「最後の後片付けがあまりにも乱暴すぎて残念でした」 ていうことは、言葉に出させていただきました。 その店ができる前から知っていて、その店ができてからも社員と共に何回も行き、たくさんのエピ