ペンネーム:猫の手30代女性からです。 先日、大きく話題になっていたパワハラのニュースを見て思うことがあり、投稿させて頂きます。 第三者としてニュースを見ていると「うわーこんなひどいことをしていたんだ!」と驚くばかりですが、ふと自分がその環境にいた時に、その異常性に気づけるのだろうかと不安になりました。 会社にはそれぞれ良いものも悪いものも含めて、独特の文化や習慣などがあるはずです。その環境に身を置いているうちに、外ではあり得ないようなことが平気で行われることがあり得るように思うのです。朝倉先生は多くの会社を見てこられたと思うのですが、このような同調圧力というのでしょうか、良くないことも当たり前のものとして、受け入れてしまうような危うさを感じたことはありませんか。自分自身が無意識のうちに倫理に背いてしまうことがあるのではないか、私は気付けるだろうかということを最近よく考えています。 はい!ペンネーム:猫の手さん、質問ありがとうございます。 これは自分ごととして、実はこの問題考えさせて頂きました。 例えば、新入社員が初めて会社に入った。 中途採用の方が企業に勤めるようになった。 その会社は、独特の文化がありまして、その独特の文化を「いいなぁ!」と思うのか「これは自分には無理だ!」と思うのか、 最初の直感力って凄く大事 だと思うんですね。 例えば、枯れた観葉植物があっても、社内の中にいる人はなかなか気づかない。外から入ってきた人は一瞬に気づく。変化・違和感。そこに気づく感覚・感性で、すごく大事だと思うんです。 ところが放置されたまま、そしてそれがいつしか景色のようになってしまうと、 感じることが鈍く なってしまいますよね。 例えば、暴力がいけないとか、パワハラが良くないとか、セクハラが良くないとか、それが分かっていても、日常それが当たり前になっていると、それが文化のように感じてしまうという事って、もしかしたら、我々が無意識の中に落ちてしまう、とっても危険なことではないかなと思うんですね。 違和感を受け入れるっていうのは、成長においてはとっても大事なことなんですね。 例えば、筋肉が鍛えられるのも、過度に負荷をかけない限り筋肉は鍛えられません。 心の筋肉も、例えば体の筋肉も、例えば色んな体験経験を経て、理不尽を受け入れたり、違和感をこれを乗り越えようとする中で、いろんな
あまり マイナスの話はしたくない私ではありますが、これはどうしてもシェアしておきたいなと思う事柄がありました。Voicyリスナーの皆様にお伝えさせてください。 10時30分ラストオーダーのお寿司屋さんに入った時のことです。 時間は10時10分、夜の10時10分。 そのタイミングに、ほんの少しだけビールを飲んでおつまみを頼んで、そして少しだけお寿司食べたいなと思って入りました。 「ラストオーダー10時半ですがよろしいですか?」 「はい、大丈夫です」 カウンター席に座らせていただきました。そしてビールを1本頼んで、おつまみを取って、そしてお寿司を食べて、気持ちよく最後の1日を振り返りながら非常に一人時間を堪能してたタイミング。 そのタイミング、私はカウンター席にいたということもありまして、厨房の中にいらっしゃる板さんが片付けを始めました。ボックス席にはまだまだたくさんお客様がいらっしゃいました。そしてまた次から次へと海外のお客様が入って来られます。その度にお断りをされていました。 そんな中、板さんが片付けるお姿があまりにも衝撃的だったんです。本当にショーケースの中にあるネタを、きっとそのネタは明日のお寿司に使うネタです。そのお寿司のネタをバットの中にバサ!バサ!バサ!と、まるで物を捨てるようにバットの中に入れ、そして音をガチャガチャと鳴らしながら片付けをするその様。 その時私は最後の締めの巻物を食べてました。冷茶お願いしたところ「有料ですがいいですか?」って言われたので「はい、結構です」ということで、有料で冷茶を頼んで、そして最後の締めの巻物を食べてる時、食べ終わった後にその方が 「今度はゆっくり来てくださいね」 とおっしゃいました。 私はその時、食べ終わった後に一言だけ、本来言うべきことではなかったのかもしれませんが、どうしても気になったがゆえに、そこの胸元にあった名札を見ながら 「〇〇さん、最後の片付けがあまりにも乱暴でびっくりしました。〇〇社長、悲しまれます」って言って、そして席を立ち、21年間通っていたお店っていうこともあって、レジには昔馴染みのお姉さんがいらっしゃったがゆえに 「最後の後片付けがあまりにも乱暴すぎて残念でした」 ていうことは、言葉に出させていただきました。 その店ができる前から知っていて、その店ができてからも社員と共に何回も行き、たくさんのエピ