今朝は「価値観はどのようにして生まれた?」というテーマでお話をさせて頂きます。 子供の頃の経験を思い出しました。 私は両親がずっとサービス業、商売、いわゆる飲食店、水商売をずっとしておりました。 一番最初はお好み焼き屋さんからスタートして、お好み焼き屋さん、スタンド、スナック、クラブ、バー、最後は和風スナックで終わったんですが、小さい時からずっと、水商売の環境の中で大きくなったっていうこともあって、大人のいろんな姿を見てきました。 もう本当にいろんな姿見てきましたね。 小学校5年生の時に焼肉をオープンして、1階はカウンター席、2階はお座敷。ま〜本当にお座敷も広かったがゆえに、そのお座敷の中でお客様接客をするにあたって、ありがたいことに焼肉屋がいつも満席で、そんな中、小学校5年生の私もお店の手伝いをするということがよくありました。 もう最も苦痛だったのが「もやしのしっぽ切り」このもやしのしっぽ切りに関しては、近々 YouTube でもお話をさせていただけます。ここは割愛させて頂きますが、もう何しろ習い事もできないまま、私は学校から帰ったらすぐにお店のお手伝い。そんな中でいろんなお客様、いろんなファミリーを見てきたんですね。 私の価値観はどのようにして生まれたのか? それをちょっと思い出してみました。 飲食業はサービス業です。そんな中「こんな大人にはなりたくないな!」と思うようなモデルが実はいっぱいいました。これは子供だからこそ、感性、感受性も強いがゆえに、いろんな見方を素直な心でしてきたって言うこともあるのかもしれませんね。 一方、本当に素敵だなって言う大人も見てまいりました。だからこそ、目利きができたのかもしれません。 味覚は比較、人も比較 、経験を通して、本物と瀬戸物卵の見極めもできるようになる。 お宝鑑定団の方に 「なぜ本物を見極められるようになったのですか?」 ということをテレビである方が質問をした時、その時の答えがとっても印象的でした。 「数多くのを偽物、本物だと思って高いお金を使って購入しました」 痛みを知ったからこそ、まさに目利きが生まれたっていうお話だったんですね。このお話はめちゃくちゃ、ものすごく、とても納得しました。 味覚は比、較人も比較 良いか悪いか含め、自分自身がいっぱい失敗をして、痛みを知って、そこから真の目利きを覚えていくのかもしれません。
あまり マイナスの話はしたくない私ではありますが、これはどうしてもシェアしておきたいなと思う事柄がありました。Voicyリスナーの皆様にお伝えさせてください。 10時30分ラストオーダーのお寿司屋さんに入った時のことです。 時間は10時10分、夜の10時10分。 そのタイミングに、ほんの少しだけビールを飲んでおつまみを頼んで、そして少しだけお寿司食べたいなと思って入りました。 「ラストオーダー10時半ですがよろしいですか?」 「はい、大丈夫です」 カウンター席に座らせていただきました。そしてビールを1本頼んで、おつまみを取って、そしてお寿司を食べて、気持ちよく最後の1日を振り返りながら非常に一人時間を堪能してたタイミング。 そのタイミング、私はカウンター席にいたということもありまして、厨房の中にいらっしゃる板さんが片付けを始めました。ボックス席にはまだまだたくさんお客様がいらっしゃいました。そしてまた次から次へと海外のお客様が入って来られます。その度にお断りをされていました。 そんな中、板さんが片付けるお姿があまりにも衝撃的だったんです。本当にショーケースの中にあるネタを、きっとそのネタは明日のお寿司に使うネタです。そのお寿司のネタをバットの中にバサ!バサ!バサ!と、まるで物を捨てるようにバットの中に入れ、そして音をガチャガチャと鳴らしながら片付けをするその様。 その時私は最後の締めの巻物を食べてました。冷茶お願いしたところ「有料ですがいいですか?」って言われたので「はい、結構です」ということで、有料で冷茶を頼んで、そして最後の締めの巻物を食べてる時、食べ終わった後にその方が 「今度はゆっくり来てくださいね」 とおっしゃいました。 私はその時、食べ終わった後に一言だけ、本来言うべきことではなかったのかもしれませんが、どうしても気になったがゆえに、そこの胸元にあった名札を見ながら 「〇〇さん、最後の片付けがあまりにも乱暴でびっくりしました。〇〇社長、悲しまれます」って言って、そして席を立ち、21年間通っていたお店っていうこともあって、レジには昔馴染みのお姉さんがいらっしゃったがゆえに 「最後の後片付けがあまりにも乱暴すぎて残念でした」 ていうことは、言葉に出させていただきました。 その店ができる前から知っていて、その店ができてからも社員と共に何回も行き、たくさんのエピ