毎週木曜日には、読み物の時間を設けておりまして、書籍や雑誌、新聞などから見つけた学びをエピソードとして朗読の形でご紹介させていただきます。リスナーの皆様にとっても心に響く物語が見つかれば幸いです。 それではお聞きくださいませ。 凡事徹底の人生:行商時代に学んだ教え 私は今日まで掃除に熱心に取り組んでまいりました。みんなが自分の周りをきれいにしていけば、社会全体が綺麗になっていきます。そうすると、きっとみんなの心が綺麗になっていくに違いない。私はそんな確信を持って掃除に取り組んでまいりました。 一人でコツコツと掃除をしている頃は、冷たい目で見られることもありました。でも次第に、「私も一緒にやりましょう」と手を挙げてくださる方が現れ、全国にも私の活動に共鳴してくださる方が、ポツポツと増えてくるようになりました。そしてそれが「日本を美しくする会」になりました。ただ黙々とやり続けてきたことが、このように社会的な活動として世の中に認められるようになったことを、私は本当に嬉しく思っています。 私は昭和8年生まれで、20歳で東京に出てきました。学歴も学力もお金もありませんでした。人に騙されるなど、不運な目に遭いました。それでも今日までやって来られたのは、強い体力と少々のことではへこたれない忍耐心があったおかげだと思っています。 忍耐心を養うにはどうしたらいいか。毎日の暮らしの中で、ちょっとした小さなルールを守ることで少しずつ身についていきます。 例えば、深夜や早朝にはほとんど車が通らない交差点があります。そういう時でも信号が赤だったらちゃんと止まって青になるのを待つ。そんな信念を貫いていることを続けていると、次第に強い忍耐心がついてまいります。 反対に車も来ないし、警察もいないし、危険はないし、赤だけど行ってしまおうと、小さなルールを破っていると忍耐心はだんだん弱くなってまいります。小さなルールを甘く見ないことが大事です。 昭和36年10月10日、私は現在の仕事を始めました。最初は自転車1台からの行商でした。自転車の荷台に商品を積み、遠くまで商いに行きました。体は丈夫でしたので仕事そのものはきつくなかったのですが、辛い体験をたくさんしました。それは行商に行った先々で人間扱いされないことでした。朝から晩まで、歓迎されるところは一件もありません。50件歩いても100件歩いても「用はな...
毎週水曜日は、リスナーの皆様からの質問にお答えするコーナーです。 仕事のことや、人生のことで 知りたいこと、悩んでいること お寄せいただいたご質問に、私の考えでお答えさせていただきます。 あくまでも、一つのものの見方、考え方の参考になれば幸せです。 さて、今日はどんな質問が届いてるでしょうか? ちょっと見てまいります。 お待ちください。 ペンネーム 、のんたん、女性からです 質問内容: 朝倉先生、こんにちは。 職場であった事です。朝倉先生のお考えを知りたくてご質問させてください。 ビジネスマナーの中の「多様性」についてです。 私は今生薬ではありますが製薬製造会社に勤めております。 我が社は新入社員教育時に、本社教育として様々な教育の中のひとつとして、ビジネスマナーの中で髪の色についても、色ナンバーを提示しながら教育を行っています。ここまで行うのは、主に営業職があるからだと理解しております。 その後、実際に勤務する各拠点で同じように、おさらいの意味でビジネスマナー教育はしています。(総務課教育担当者に確認) 今回2年前に入社された製造部20代前半女性が、5月連休明けから、突然金髪👱で出社しております。 総務課の教育担当者も認知しておりますが、「困ったものだ」で終わり、本人への注意には至りませんでした。 以前品質管理部所属の方は同様な状態の時は直属の上司がお話しされ、少し栗色気味になりました。 今なお金髪の製造部の方の上司は、「今は多様性の時代だから、そこまで言わなくても良いと思う。仕事は真面目で前向きによくやる子なのだから。製造部であり、社外の方との関わりがないところだし、髪色で仕事の仕方が変わるわけではない。あまり厳しすぎると働き手がいなくなるよ」という意見でした。 確かに、仕事を真面目に前向きに行っていれば、髪の色は問題ない!ということも理解できる部分ではありますが。 社規で決められてるものではなく、あくまでビジネスマナーとしての教育。という意見でしたが。 私は、古い考え方なのでしょうか?表舞台に立たない製造だから、多様性の時代だから、ビジネスマナーでの教育に沿わなくても良いという考えには同意できない自分がいます。 製造であろうと外部の方と接する部署であろうと会社の社員は同じだと考えます。 「多様性」の使い方も受け取り方も違うように思えるのです。 とは...