「誠実」とは言・行の一致。前章では「正直」と言うものが、我々人間の社会的生活が成り立つ上での、いわば土台になっている点について申したわけであります。 ところで、ここには誠実と言う徳について考えてみたいと思うのです。それと申しますのも「正直」と「誠実」とは非常によく似た徳のように思われますが、しかしだからと言って「正直」と「誠実」とは全く同じものだとは言えないからであります。 では「正直」と「誠実」とは一体どう違うと言うのでしょうか。こう言う点をはっきりつかんでいると言うことは、我々人間にとって非常に大事な事柄かと思われます。 というところで考えてみますに、「正直」と言うことは、主として言葉に関わることが多くて、例えば自分のしたことについて人から尋ねられた場合、いかに言いにくくても事実をありのままに言うと言うことです。 一方、誠実となると、もちろん言うべきことをありのままに言う場合も、決してないわけではありませんが、しかしより重大な点は自分の言ったことをいかに辛くても、言った通りに行うと言うことなのであります。それどころか、自分のなすべき事柄については、たとえ他人がそれを見ていようがいまいが、終始一貫して成し遂げると言うことであります。 すなわち、そこには 言・行の一致 と言うことの他に、さらに一貫持続と言うことさえ含まれているわけであります。同時に、それゆえにこそこの誠実の徳は多くの人々の心を打ち、かつ多くの人々から尊敬せられる所以であります。 このように考えてきますと誠実な人と言うのはもちろん、「正直」の徳を持っているわけですが、単にそれだけではなくて、広くあらゆる事柄をも包括していると考えて良いでしょう。 つまりあらゆる事柄に対して、その人の 言・行 に表裏がなく、常に自己の 言・行 の上にできるだけ、ずれを生じないような努力を惜しまぬ人柄をさして、私たちは誠実な人と言ってるようであります。 このように「誠実」の徳の中には、「正直」の徳も含まれているとしたら、あえて「正直」について、徳目を立てる必要はないではないかと、思う人もあるかと思われます。しかし「正直」と言う徳は前にも申したように、人間としての再基盤的なものですから、徳目の一つとしてどうしても見逃すわけにはまいらなどであります。 言わんや、今日の日本のように、ともすれば「正直」と言う大事な徳を多少軽く
あまり マイナスの話はしたくない私ではありますが、これはどうしてもシェアしておきたいなと思う事柄がありました。Voicyリスナーの皆様にお伝えさせてください。 10時30分ラストオーダーのお寿司屋さんに入った時のことです。 時間は10時10分、夜の10時10分。 そのタイミングに、ほんの少しだけビールを飲んでおつまみを頼んで、そして少しだけお寿司食べたいなと思って入りました。 「ラストオーダー10時半ですがよろしいですか?」 「はい、大丈夫です」 カウンター席に座らせていただきました。そしてビールを1本頼んで、おつまみを取って、そしてお寿司を食べて、気持ちよく最後の1日を振り返りながら非常に一人時間を堪能してたタイミング。 そのタイミング、私はカウンター席にいたということもありまして、厨房の中にいらっしゃる板さんが片付けを始めました。ボックス席にはまだまだたくさんお客様がいらっしゃいました。そしてまた次から次へと海外のお客様が入って来られます。その度にお断りをされていました。 そんな中、板さんが片付けるお姿があまりにも衝撃的だったんです。本当にショーケースの中にあるネタを、きっとそのネタは明日のお寿司に使うネタです。そのお寿司のネタをバットの中にバサ!バサ!バサ!と、まるで物を捨てるようにバットの中に入れ、そして音をガチャガチャと鳴らしながら片付けをするその様。 その時私は最後の締めの巻物を食べてました。冷茶お願いしたところ「有料ですがいいですか?」って言われたので「はい、結構です」ということで、有料で冷茶を頼んで、そして最後の締めの巻物を食べてる時、食べ終わった後にその方が 「今度はゆっくり来てくださいね」 とおっしゃいました。 私はその時、食べ終わった後に一言だけ、本来言うべきことではなかったのかもしれませんが、どうしても気になったがゆえに、そこの胸元にあった名札を見ながら 「〇〇さん、最後の片付けがあまりにも乱暴でびっくりしました。〇〇社長、悲しまれます」って言って、そして席を立ち、21年間通っていたお店っていうこともあって、レジには昔馴染みのお姉さんがいらっしゃったがゆえに 「最後の後片付けがあまりにも乱暴すぎて残念でした」 ていうことは、言葉に出させていただきました。 その店ができる前から知っていて、その店ができてからも社員と共に何回も行き、たくさんのエピ