「誠実」とは言・行の一致。前章では「正直」と言うものが、我々人間の社会的生活が成り立つ上での、いわば土台になっている点について申したわけであります。 ところで、ここには誠実と言う徳について考えてみたいと思うのです。それと申しますのも「正直」と「誠実」とは非常によく似た徳のように思われますが、しかしだからと言って「正直」と「誠実」とは全く同じものだとは言えないからであります。 では「正直」と「誠実」とは一体どう違うと言うのでしょうか。こう言う点をはっきりつかんでいると言うことは、我々人間にとって非常に大事な事柄かと思われます。 というところで考えてみますに、「正直」と言うことは、主として言葉に関わることが多くて、例えば自分のしたことについて人から尋ねられた場合、いかに言いにくくても事実をありのままに言うと言うことです。 一方、誠実となると、もちろん言うべきことをありのままに言う場合も、決してないわけではありませんが、しかしより重大な点は自分の言ったことをいかに辛くても、言った通りに行うと言うことなのであります。それどころか、自分のなすべき事柄については、たとえ他人がそれを見ていようがいまいが、終始一貫して成し遂げると言うことであります。 すなわち、そこには 言・行の一致 と言うことの他に、さらに一貫持続と言うことさえ含まれているわけであります。同時に、それゆえにこそこの誠実の徳は多くの人々の心を打ち、かつ多くの人々から尊敬せられる所以であります。 このように考えてきますと誠実な人と言うのはもちろん、「正直」の徳を持っているわけですが、単にそれだけではなくて、広くあらゆる事柄をも包括していると考えて良いでしょう。 つまりあらゆる事柄に対して、その人の 言・行 に表裏がなく、常に自己の 言・行 の上にできるだけ、ずれを生じないような努力を惜しまぬ人柄をさして、私たちは誠実な人と言ってるようであります。 このように「誠実」の徳の中には、「正直」の徳も含まれているとしたら、あえて「正直」について、徳目を立てる必要はないではないかと、思う人もあるかと思われます。しかし「正直」と言う徳は前にも申したように、人間としての再基盤的なものですから、徳目の一つとしてどうしても見逃すわけにはまいらなどであります。 言わんや、今日の日本のように、ともすれば「正直」と言う大事な徳を...
毎週水曜日は、リスナーの皆様からの質問にお答えするコーナーです。 仕事のことや、人生のことで知りたいこと、悩んでいること、お寄せいただいたご質問に私の考えで答えさせていただきます。 1つのものの見方、考え方の参考にしていただけるとありがたいです。 今日はどんな質問が来ているでしょうか? 今から見に行ってまいります。 ペンネーム、ひまわりさん、40代女性からです。 質問内容です。 こんにちは。 職場での人間関係について、朝倉先生にご意見を伺いたく、メッセージしました。 最近、職場の20代の若い同僚たちから「ひまわりさんって、お母さんみたいですよね」と言われることが増えてきました。悪気はないのだろうし、むしろ親しみを込めて言ってくれているのは分かります。 でも、正直そのたびに複雑な気持ちになります。 子どもがいない私にとって「お母さんみたい」という言葉は少し重たく感じることがあるんです。 「面倒見がいい」とか「安心感がある」といった意味で言ってくれているのだと思うのですが、どこか自分が中年女性としてしか見られていない気がして、少し距離を感じるようになってしまいました。 彼女たちと良い関係を築きたいとは思うものの、この言葉をどう受け止めればいいのか、正直まだモヤモヤしています。 悩むようなことでもないのかもしれませんが、こういう場面での向き合い方や、気持ちの整理の仕方についてアドバイスをいただけたら嬉しいです。よろしくお願いいたします。 はーい、ペンネームひまわりさん、このご質問に対して、チャプターを分けて、チャプターを変えてお話しさせていただきますね。 私が文章を読ませていただいて感じた、率直なことも今日はお話できたらなと思います。 ひまわりさん、ご相談ありがとうございます。 とっても繊細な心の動きを感じるお悩みで、ひまわりさんが同僚の方々との関係性を大切に思ってることが十分伝わりました。 まず、「お母さんみたい」っていう言葉に対して複雑な気持ちを抱かれるのは、当然、自然なことです。人が何気なく口にした言葉でも、自分の経験や状況によって響き方が違うのも事実です。 その感情を否定する必要は全くないと思います。 そんな中で参考になればと思うんですが、まずはですね、ポジティブな意図に焦点を当ててしまうということですね。 ちょっと、いくつかのポイントでお話をしたいんですが、 ま...