今日は、本質的な優しさと表面的な優しさ。 本質的な優しさと表面的な優しさの違いについて、お話しさせていただきます。 優しさを履き違えていませんか。 優しさは人を救う力にもなりますが、同時に人を甘やかして、ダメにしてしまう危険もあります。 多くの人が、私も含めてですが、優しさという言葉を都合よく使っています。 私は時折、そう感じることがあります。 嫌われたくないから言わない。 傷つけたくないから流す。 場を、雰囲気を壊したくないから黙る。 これ、本当に優しさですようか。 私は違うと思います。 これは、自分を守るための逃げであって、相手のためではないんです。 表面的に笑顔を作っていても、心の奥底には無責任が潜んでいるのではないかなということなんですね。 では、本質的な優しさとは何ですよう。 本質的な優しさとは、相手を甘やかすことではないんです。 時には、相手に耳の痛いことを伝え、厳しい現実を突きつけることも大事。 相手の未来を本気で考えているからこそ、見て見ぬふりができない。 その場しのぎの心地よさではなく、長い目で見た時の成長や相手の幸せを願うこと。 だからこそ、本質的な優しさには勇気が必要なんです。 もしかしたら、嫌われるかもしれない。 ひょっとしたら、相手から距離を置かれるかもしれない。 それでも、真実を伝える勇気。 これがなければ、ただの自己満足にすぎません。 厳しさを伴う愛情とは。 愛のない厳しさは暴力です。 ですが、厳しさのない愛は無責任です。 厳しさのない愛って、やっぱりあるのかなと思いますけどね。 愛があるから厳しくなりますよね。 本質的な優しさは、この2つを兼ね備えたもの。 例えば、部下が努力を怠っている時に「大丈夫だよ、気にしないで」と慰めるのは簡単。 ですが、それでは相手は一生成長できません。 逆に「もっと頑張れ、甘えるな」と怒鳴るだけでも、心が離れてしまいますね。 必要なものは、相手を信じているからこそ伝える厳しさ。 「あなたにはもっとできる力がある」 「手を抜くな」と。 そんなもったいないこと、心を落とすようなことをしてほしくない。 そこに愛があれば、どんなに厳しい言葉だとしても必ず相手の心に届きます。 逃げの優しさに未来はありません。 表面的な優しさを続ける人に、人はついていきません。 未来はないです。 相手を本当に思うんであれば、時には嫌わ...
毎週水曜日は、リスナーの皆様からの質問にお答えするコーナーです。 仕事のことや、人生のことで 知りたいこと、悩んでいること お寄せいただいたご質問に、私の考えでお答えさせていただきます。 あくまでも、一つのものの見方、考え方の参考になれば幸せです。 さて、今日はどんな質問が届いてるでしょうか? ちょっと見てまいります。 お待ちください。 ペンネーム 、のんたん、女性からです 質問内容: 朝倉先生、こんにちは。 職場であった事です。朝倉先生のお考えを知りたくてご質問させてください。 ビジネスマナーの中の「多様性」についてです。 私は今生薬ではありますが製薬製造会社に勤めております。 我が社は新入社員教育時に、本社教育として様々な教育の中のひとつとして、ビジネスマナーの中で髪の色についても、色ナンバーを提示しながら教育を行っています。ここまで行うのは、主に営業職があるからだと理解しております。 その後、実際に勤務する各拠点で同じように、おさらいの意味でビジネスマナー教育はしています。(総務課教育担当者に確認) 今回2年前に入社された製造部20代前半女性が、5月連休明けから、突然金髪👱で出社しております。 総務課の教育担当者も認知しておりますが、「困ったものだ」で終わり、本人への注意には至りませんでした。 以前品質管理部所属の方は同様な状態の時は直属の上司がお話しされ、少し栗色気味になりました。 今なお金髪の製造部の方の上司は、「今は多様性の時代だから、そこまで言わなくても良いと思う。仕事は真面目で前向きによくやる子なのだから。製造部であり、社外の方との関わりがないところだし、髪色で仕事の仕方が変わるわけではない。あまり厳しすぎると働き手がいなくなるよ」という意見でした。 確かに、仕事を真面目に前向きに行っていれば、髪の色は問題ない!ということも理解できる部分ではありますが。 社規で決められてるものではなく、あくまでビジネスマナーとしての教育。という意見でしたが。 私は、古い考え方なのでしょうか?表舞台に立たない製造だから、多様性の時代だから、ビジネスマナーでの教育に沿わなくても良いという考えには同意できない自分がいます。 製造であろうと外部の方と接する部署であろうと会社の社員は同じだと考えます。 「多様性」の使い方も受け取り方も違うように思えるのです。 とは...