Voicyリスナーの皆様、本日は祈りの島、沖縄で感じた命の尊さ、桂春蝶師匠とともに歩んだ鎮魂の旅をお話しさせていただきます。 私の心に今も深く残っている旅の記憶を、心を込めてお話しさせてくださいませ。 祈りの島、沖縄への鎮魂の旅。 実はこの旅はただの観光ではなく、命とは何か、生きるとはどういうことか、そんな問いを改めて胸の奥で感じる魂の旅でした。 私は沖縄には20回以上行っておりますが、初めて沖縄に行ったのが36歳、37歳の時だったかなと思いますね。 30代の頃の沖縄は、海で泳ぎたい、きれいな海を見たい、ケラマの海でシュノーケリングをしたい、そんな感覚の中、大切な方と沖縄を訪れていきましたが、 ちょうど42歳の時に、藤木相元先生と巡り合って、感想学を学び、藤木相元先生が3回の特攻から生還し、ひめゆりの学徒隊の方々に命を救ってもらえたこと。 そして韓国から徴用で防空壕を掘るために来てた人たちが、750人犠牲になったその方々の遺骨を収集するために、京都、鞍馬寺で修行を積んで僧侶になられ、 そしてひめゆりの方々の遺骨の収集、韓国の徴用の方々の遺骨の収集とともに、韓国慰霊碑を建てられたお話を聞き、そこから沖縄はバカンスだとか、楽しみのために行く旅とは違う沖縄を、ここ20年間は感じております。 そんな中、今回は戦後80年、忘れてはならないという祈り。 2025年、戦後80年という節目の年。 80年という年月の間に、日本は豊かさと平和を手に入れました。 ですが、その礎の上には数え切れない命の犠牲があったことを、私たちは忘れてはならない。 どれほど意識しているのか、そんなことを考える沖縄鎮魂の旅でした。 沖縄の地を踏んだ瞬間、なぜかここ数年は胸の奥が静かに締め付けられるような、そんな思いがするんです。 見渡す限りの青い空であったり、どこまでも澄んだ美しい海。 その美しさの奥に、戦争という名の悲劇が刻まれている。 そのことを思うと、なんか胸が本当にグッとくるものがあるんですね。 ひめゆり学徒隊、少女たちの祈り。 ひめゆり平和記念資料館、行ってまいりました。 今回私は2度目だったんですが、そこには静けさと祈りと、そして涙がありました。 当時10代だった少女たちは、ひめゆり学徒隊として看護の任務にあたりました。彼女たちは戦場で傷ついた兵士たちを救うため、わずか十数歳で命をかけて動きまし...
毎週水曜日は、リスナーの皆様からの質問にお答えするコーナーです。 仕事のことや、人生のことで 知りたいこと、悩んでいること お寄せいただいたご質問に、私の考えでお答えさせていただきます。 あくまでも、一つのものの見方、考え方の参考になれば幸せです。 さて、今日はどんな質問が届いてるでしょうか? ちょっと見てまいります。 お待ちください。 ペンネーム 、のんたん、女性からです 質問内容: 朝倉先生、こんにちは。 職場であった事です。朝倉先生のお考えを知りたくてご質問させてください。 ビジネスマナーの中の「多様性」についてです。 私は今生薬ではありますが製薬製造会社に勤めております。 我が社は新入社員教育時に、本社教育として様々な教育の中のひとつとして、ビジネスマナーの中で髪の色についても、色ナンバーを提示しながら教育を行っています。ここまで行うのは、主に営業職があるからだと理解しております。 その後、実際に勤務する各拠点で同じように、おさらいの意味でビジネスマナー教育はしています。(総務課教育担当者に確認) 今回2年前に入社された製造部20代前半女性が、5月連休明けから、突然金髪👱で出社しております。 総務課の教育担当者も認知しておりますが、「困ったものだ」で終わり、本人への注意には至りませんでした。 以前品質管理部所属の方は同様な状態の時は直属の上司がお話しされ、少し栗色気味になりました。 今なお金髪の製造部の方の上司は、「今は多様性の時代だから、そこまで言わなくても良いと思う。仕事は真面目で前向きによくやる子なのだから。製造部であり、社外の方との関わりがないところだし、髪色で仕事の仕方が変わるわけではない。あまり厳しすぎると働き手がいなくなるよ」という意見でした。 確かに、仕事を真面目に前向きに行っていれば、髪の色は問題ない!ということも理解できる部分ではありますが。 社規で決められてるものではなく、あくまでビジネスマナーとしての教育。という意見でしたが。 私は、古い考え方なのでしょうか?表舞台に立たない製造だから、多様性の時代だから、ビジネスマナーでの教育に沿わなくても良いという考えには同意できない自分がいます。 製造であろうと外部の方と接する部署であろうと会社の社員は同じだと考えます。 「多様性」の使い方も受け取り方も違うように思えるのです。 とは...