Voicyリスナーの皆様、 今日は人生に現れる人の役割、出会いは決して偶然ではない、もう出会いは偶然ではなく必然。 これも今までもずっと言ってきてるんですが、ふと思ったんですね。 私たちの人生の登場人物、 私たちの人生に現れる人の役割 これってやっぱりあるんではないかなと思うんです。 私自身、これまでの人生を振り返った時、節目節目で「え、なんでこのタイミングにこの出会いが、このご縁があるんだろうか」と思うような、そんな素敵な出会いがありました。 出会いは決して偶然ではない。これは私の持論でもあるんですが、私たちの人生に現れる人、実は ただの通りすがりではない ですよね。 たまたま出会った、偶然近くにいた、そんなふうに思える関係も、実は全て何らかの意味と役割を持って、私たちの前に現れてきてくださったんではないかなと思うんです。 不思議と思うことに、出会いには必ず背景がありますね。 それは目に見える背景と、目に見えない背景があると思うんです。 心の中でずっと抱いていた願いや「こうなったらいいな、ああなったらいいな」というような、自分自身のもしかしたら妄想みたいなものも、全てあると思うんですね。 人生の流れ、魂の成長の段階に、目に見えない背景がなぜか私たちの目の前に現れるんです。 そんな体験を、これまでも何度かしました。 いろんな人から「〇〇さんを紹介したい」とか、「何々さんと会ったら絶対得だよ」って言われても、全然心のアンテナが立たなかったり、損得で人と会うことはないなと思ってしまったり。 一方、初めてお会いした人と、「またこの人とは絶対に会いたい」と思って、次に約束を交わす努力をしたり。 不思議だなと思います。 昔々ある方から、人生に現れる人には 3つの役割 があるっていうことを教えてもらいました。 3つの役割って何だろう? 実は人とのご縁には、おおよそ3つの種類があると言うんですね。 まず1つ目の種類は、 「理由」で出会う人。 2つ目が、 「季節」を共にする人。 そして3つ目が、 「生涯」をかけて学び合う人。 この3つだということなんです。 理由で出会う人 季節を共にする人 生涯をかけて学び合う人 この3つ、皆さんはどうですか? 例えば、「 理由」で現れる人。 これは、今の私たちに必要な存在だということなんですね。 例えば、私たちがある時、壁にぶつかったとしましょう...
毎週水曜日は、リスナーの皆様からの質問にお答えするコーナーです。 仕事のことや、人生のことで知りたいこと、悩んでいること、お寄せいただいたご質問に私の考えで答えさせていただきます。 1つのものの見方、考え方の参考にしていただけるとありがたいです。 今日はどんな質問が来ているでしょうか? 今から見に行ってまいります。 ペンネーム、ひまわりさん、40代女性からです。 質問内容です。 こんにちは。 職場での人間関係について、朝倉先生にご意見を伺いたく、メッセージしました。 最近、職場の20代の若い同僚たちから「ひまわりさんって、お母さんみたいですよね」と言われることが増えてきました。悪気はないのだろうし、むしろ親しみを込めて言ってくれているのは分かります。 でも、正直そのたびに複雑な気持ちになります。 子どもがいない私にとって「お母さんみたい」という言葉は少し重たく感じることがあるんです。 「面倒見がいい」とか「安心感がある」といった意味で言ってくれているのだと思うのですが、どこか自分が中年女性としてしか見られていない気がして、少し距離を感じるようになってしまいました。 彼女たちと良い関係を築きたいとは思うものの、この言葉をどう受け止めればいいのか、正直まだモヤモヤしています。 悩むようなことでもないのかもしれませんが、こういう場面での向き合い方や、気持ちの整理の仕方についてアドバイスをいただけたら嬉しいです。よろしくお願いいたします。 はーい、ペンネームひまわりさん、このご質問に対して、チャプターを分けて、チャプターを変えてお話しさせていただきますね。 私が文章を読ませていただいて感じた、率直なことも今日はお話できたらなと思います。 ひまわりさん、ご相談ありがとうございます。 とっても繊細な心の動きを感じるお悩みで、ひまわりさんが同僚の方々との関係性を大切に思ってることが十分伝わりました。 まず、「お母さんみたい」っていう言葉に対して複雑な気持ちを抱かれるのは、当然、自然なことです。人が何気なく口にした言葉でも、自分の経験や状況によって響き方が違うのも事実です。 その感情を否定する必要は全くないと思います。 そんな中で参考になればと思うんですが、まずはですね、ポジティブな意図に焦点を当ててしまうということですね。 ちょっと、いくつかのポイントでお話をしたいんですが、 ま...