本日は、 「部下の可能性の目を潰してはならない」 に続き、一緒に考えてみることについてお話してみたいと思います。 例えば私たちが人を育成する立場にあるとき、部下を指導育成する肩書を持ってその役目を任されているとき、ついつい「こうしてほしい」とか、「こうやるべき」とか、正しさや効率を優先して指示を出してしまうことありませんか? 私もかつてはありました。 このようにやってもらいたい、こういうふうにやってもらった方がより一層効果的、効率的に仕事ができるということで、つい自分自身のあり方、そしてやり方を押し付けてしまおうとする。 そんなことは、やっぱり過去はありました。 ですが、正しさや効率を優先して指示を出してしまうと、本当に人が動いてくれるかというと、やっぱり違うと思うんですね。 言われたことはやる。 ですが、プラスαのことまで考えてやろうとしない。 人は、例えば自分が本当の意味で仕事の面白さを感じたときというのは、放っておいても仕事します。 ところが、言われたからやる、怖いからやる、ある意味命令だからやる。 そのような仕事感では、正直、仕事の面白みってないですよね。 理屈だけでは、人の心はなかなか動きません。 「新時代の戦略的コミュニケーション講座」でも、井上先生から度々教わることですが、やはり好きな人から言われたからやる。 嫌いな人から言われたことは、仕事だからやるかもしれませんが、本当の意味で魂がこもった仕事になっているかというと、なかなかそうではないことってあると思うんですね。 ですが、上に立つリーダー、指導者の方が、ある意味、指示命令だけではなくて、「一緒にやってみませんか?」「一緒にやってみよう」そして、「一緒に前を向いて突き進もう」とか、そばで寄り添ってやってくれるとなったら、マインドは変わるかもわかりませんね。 人は、人の優しさに触れて、優しさを覚える。 突き放されるのではなく「一緒にやってみよう」と声をかけてもらって、同じ方向を向いてくれること。 これって、やっぱり意味があるのではないかなと、私は思います。 「一緒に行こうか」「一緒にやってみようか」「一緒に考えようか」 その言葉の中に、安心感と信頼、そして「あなたを一人にしないから大丈夫よ、心配しないでね」というような、大きな愛情が込められていると思います。 率先垂範。 私はこの「率先垂範」という言葉...
毎週水曜日は、リスナーの皆様からの質問にお答えするコーナーです。 仕事のことや、人生のことで知りたいこと、悩んでいること、お寄せいただいたご質問に私の考えで答えさせていただきます。 1つのものの見方、考え方の参考にしていただけるとありがたいです。 今日はどんな質問が来ているでしょうか? 今から見に行ってまいります。 ペンネーム、ひまわりさん、40代女性からです。 質問内容です。 こんにちは。 職場での人間関係について、朝倉先生にご意見を伺いたく、メッセージしました。 最近、職場の20代の若い同僚たちから「ひまわりさんって、お母さんみたいですよね」と言われることが増えてきました。悪気はないのだろうし、むしろ親しみを込めて言ってくれているのは分かります。 でも、正直そのたびに複雑な気持ちになります。 子どもがいない私にとって「お母さんみたい」という言葉は少し重たく感じることがあるんです。 「面倒見がいい」とか「安心感がある」といった意味で言ってくれているのだと思うのですが、どこか自分が中年女性としてしか見られていない気がして、少し距離を感じるようになってしまいました。 彼女たちと良い関係を築きたいとは思うものの、この言葉をどう受け止めればいいのか、正直まだモヤモヤしています。 悩むようなことでもないのかもしれませんが、こういう場面での向き合い方や、気持ちの整理の仕方についてアドバイスをいただけたら嬉しいです。よろしくお願いいたします。 はーい、ペンネームひまわりさん、このご質問に対して、チャプターを分けて、チャプターを変えてお話しさせていただきますね。 私が文章を読ませていただいて感じた、率直なことも今日はお話できたらなと思います。 ひまわりさん、ご相談ありがとうございます。 とっても繊細な心の動きを感じるお悩みで、ひまわりさんが同僚の方々との関係性を大切に思ってることが十分伝わりました。 まず、「お母さんみたい」っていう言葉に対して複雑な気持ちを抱かれるのは、当然、自然なことです。人が何気なく口にした言葉でも、自分の経験や状況によって響き方が違うのも事実です。 その感情を否定する必要は全くないと思います。 そんな中で参考になればと思うんですが、まずはですね、ポジティブな意図に焦点を当ててしまうということですね。 ちょっと、いくつかのポイントでお話をしたいんですが、 ま...