本日は、Voicyリスナーの皆様に、ちょっと繊細なテーマでお話をさせていただければなと思います。 誰もが心のどこかに抱えているテーマかもしれません。 それは「トラウマってなぜトラウマになるのか?」というお話です。 過去のことも過ぎ去った昔のことなのに、ふとした瞬間に胸がざわついたり、もう終わったはずなのに、似たような場面になると息が苦しくなったり。 そんな経験はありませんか? それがトラウマの反応と呼ばれるものなんです。 ですが、それは私たちが弱いからでも、心が未熟だからでもないんです。 そこには、私たちの脳と心の、本当に愛おしいほどの仕組みがあるんです。 これを 知った時に、私は正直びっくりしました。 私たちの脳には、サバイバル本能という働きがあります。 これは、自分を命の危険から守ろうとする、極めて自然な働きなんです。 例えば、熱い薬缶(やかん)に触れた時、考えるよりも早く手を引っ込めますよね。 それと同じように。熱い薬缶、というのは古いかもしれませんがね。今時、やかんでお湯を沸かす人も少ないかもしれませんね。 ですが、なんとなくチンチンに煮えたぎったやかんに触れた瞬間に、考えるよりも瞬間に、ふっと手を引っ込めますよね。 それと同じように、心もまた危険を感じる時に、とっさに反応するんです。 例えば、幼い頃、子供の頃、まだ物心もついていない頃に、大人に強く叱られたことであったり、人前で恥をかいたことであったり、突然の別れや言葉にならないほどの衝撃や悲しみ。 そんな出来事に直面した時、私たちの方は「これは命に関わる」と判断し、その記憶を特別な形で心の奥底にしまいこんでしまうんです。 整理されないまましまい込まれた記憶。 例えるならば、ラベルも貼られず、封もされていない、未処理のファイル。 でも、その記憶は、音や臭い、空気の温度など、ふとしたきっかけで突然蘇ってくることがあります。 そうすると、体は無意識に、あの時のように実は反応してしまうんです。 「また傷つくんじゃないか」「また同じことが起きるんじゃないか」と、心が自分を守ろうとするんです。 ですが、今の私たちはあの時とは違うはずです。 それでも反応してしまう。これがトラウマの正体なんです。 トラウマとは、心と脳が処理しきれなかった経験をそのまま保存している状態を意味します。 それは、私たちが必死に生きようとした証...
毎週水曜日は、リスナーの皆様からの質問にお答えするコーナーです。 仕事のことや、人生のことで 知りたいこと、悩んでいること お寄せいただいたご質問に、私の考えでお答えさせていただきます。 あくまでも、一つのものの見方、考え方の参考になれば幸せです。 さて、今日はどんな質問が届いてるでしょうか? ちょっと見てまいります。 お待ちください。 ペンネーム 、のんたん、女性からです 質問内容: 朝倉先生、こんにちは。 職場であった事です。朝倉先生のお考えを知りたくてご質問させてください。 ビジネスマナーの中の「多様性」についてです。 私は今生薬ではありますが製薬製造会社に勤めております。 我が社は新入社員教育時に、本社教育として様々な教育の中のひとつとして、ビジネスマナーの中で髪の色についても、色ナンバーを提示しながら教育を行っています。ここまで行うのは、主に営業職があるからだと理解しております。 その後、実際に勤務する各拠点で同じように、おさらいの意味でビジネスマナー教育はしています。(総務課教育担当者に確認) 今回2年前に入社された製造部20代前半女性が、5月連休明けから、突然金髪👱で出社しております。 総務課の教育担当者も認知しておりますが、「困ったものだ」で終わり、本人への注意には至りませんでした。 以前品質管理部所属の方は同様な状態の時は直属の上司がお話しされ、少し栗色気味になりました。 今なお金髪の製造部の方の上司は、「今は多様性の時代だから、そこまで言わなくても良いと思う。仕事は真面目で前向きによくやる子なのだから。製造部であり、社外の方との関わりがないところだし、髪色で仕事の仕方が変わるわけではない。あまり厳しすぎると働き手がいなくなるよ」という意見でした。 確かに、仕事を真面目に前向きに行っていれば、髪の色は問題ない!ということも理解できる部分ではありますが。 社規で決められてるものではなく、あくまでビジネスマナーとしての教育。という意見でしたが。 私は、古い考え方なのでしょうか?表舞台に立たない製造だから、多様性の時代だから、ビジネスマナーでの教育に沿わなくても良いという考えには同意できない自分がいます。 製造であろうと外部の方と接する部署であろうと会社の社員は同じだと考えます。 「多様性」の使い方も受け取り方も違うように思えるのです。 とは...