出会いによって人生は明らかに変わる。 私はそれを確信しております。 まさに出会いの質が人生の質。 出会いによって間違いなく、私たちの未来は大きく変わります。 昨日は静岡で西田文郎先生と集う「チョロいの会」でした。 この会がどのような形で構成されたのか、 どのような運営メンバーでこの企画が始まったのか、 そんなことを振り返りながら今日はこのVoicyでお話しさせていただければなと思います。 私は20年前に、西田文郎先生の横浜で開催されました西田塾を受けました。 そしてそれから、あっという間に20年。 この20年を振り返って、本当に人生は大きく変わったなと思います。 一番しんどい時に誰と出会うか、そしてその出会いをどのように生かすのか。 西田文郎先生の門下生として、私は師匠への恩返しは「結果」を出すこと。 なぜそれを誓ったのか。 これは以前にもVoicyでお話をさせていただいたかと思いますが、 西田塾を卒業し数年経って、西田文郎先生が西田塾の方々に私の名前を出してくださってるって事を聞き、 名前を出してもらう以上は、どんなことがあっても結果、成果を出す。 西田文郎先生が朝倉千恵子と名前を呼んでくださる以上は、何が何でも私はどういう形でも恩返しはしたい、そんなことを思いました。 出会いから20年。 今回は4月9日に、実は少人数での飲み会がありました。 西田先生を囲む会です。 その囲む会がどのようにして生まれたかと言いますと、 菓匠Shimizuの清水慎一社長が「朝倉さんと会ってみたい」ということを言葉で出してくださったおかげで、 2024年4月9日に岡村佳明社長、五十嵐美紀さん、そして清水慎一社長、 そしてシークレットメンバーとして井上敬一先生がご参加くださり、 少人数で初めて、西田文郎先生と食事をする機会をいただきました。 菊川の「おぶね」 というお店で食事、並びにたくさん懇親を深めることができたんですが、 本当に奇跡の時間だったんです。 西田塾門下生もたくさんいる中で、西田先生と少人数で飲めるなんてことはまずありえません。 私も横浜西田塾に参加はさせていただきましたが、 仕事の都合で懇親会は1回しか出ることができなくて、 その時お話ができたことも今も鮮明に覚えてる、それだけ別格な方、特別な先生でした。 その4月9日、1次会を終え藤枝にホテルを取っていたんですが、 岡村...
あまり マイナスの話はしたくない私ではありますが、これはどうしてもシェアしておきたいなと思う事柄がありました。Voicyリスナーの皆様にお伝えさせてください。 10時30分ラストオーダーのお寿司屋さんに入った時のことです。 時間は10時10分、夜の10時10分。 そのタイミングに、ほんの少しだけビールを飲んでおつまみを頼んで、そして少しだけお寿司食べたいなと思って入りました。 「ラストオーダー10時半ですがよろしいですか?」 「はい、大丈夫です」 カウンター席に座らせていただきました。そしてビールを1本頼んで、おつまみを取って、そしてお寿司を食べて、気持ちよく最後の1日を振り返りながら非常に一人時間を堪能してたタイミング。 そのタイミング、私はカウンター席にいたということもありまして、厨房の中にいらっしゃる板さんが片付けを始めました。ボックス席にはまだまだたくさんお客様がいらっしゃいました。そしてまた次から次へと海外のお客様が入って来られます。その度にお断りをされていました。 そんな中、板さんが片付けるお姿があまりにも衝撃的だったんです。本当にショーケースの中にあるネタを、きっとそのネタは明日のお寿司に使うネタです。そのお寿司のネタをバットの中にバサ!バサ!バサ!と、まるで物を捨てるようにバットの中に入れ、そして音をガチャガチャと鳴らしながら片付けをするその様。 その時私は最後の締めの巻物を食べてました。冷茶お願いしたところ「有料ですがいいですか?」って言われたので「はい、結構です」ということで、有料で冷茶を頼んで、そして最後の締めの巻物を食べてる時、食べ終わった後にその方が 「今度はゆっくり来てくださいね」 とおっしゃいました。 私はその時、食べ終わった後に一言だけ、本来言うべきことではなかったのかもしれませんが、どうしても気になったがゆえに、そこの胸元にあった名札を見ながら 「〇〇さん、最後の片付けがあまりにも乱暴でびっくりしました。〇〇社長、悲しまれます」って言って、そして席を立ち、21年間通っていたお店っていうこともあって、レジには昔馴染みのお姉さんがいらっしゃったがゆえに 「最後の後片付けがあまりにも乱暴すぎて残念でした」 ていうことは、言葉に出させていただきました。 その店ができる前から知っていて、その店ができてからも社員と共に何回も行き、たくさんのエピ...