【野鴨の哲学】 不遇の 哲学者キェルケゴール は、デンマーク郊外のジーランドという湖の近くで、転地療養を兼ねた青春時代を送った。 そこで毎年渡ってくる野生野鴨を見つめながら、野鴨の習性を通じて人間社会に意味深い警告を発したのだ。 ジーランドの湖畔に一人の老人が住んでいた。 老人は一定の季節になると、遠路はるばるこの湖に渡ってくる野鴨達に、美味しく栄養たっぷりの餌を与えた。 ある時期をそこで過ごした鴨たちは、いずれ次の目的地へ、餌と快適な環境を求めて向かわねばならないが、それまでの間、老人は餌を与えた。ところが十分すぎる美味しい餌を与え続けられた鴨達は、いつしか渡り鳥の習性を忘れてしまった。 そして比較的温暖な居心地のよいこの湖で、一年を通して過ごすようになっていたのである。 敢えて命の危険侵して、遠方まで旅する必要もなくなり、恵まれた環境で何不自由なく過ごす鴨達はとても幸せそうで、平和そのものに見えた。 ところがその日は突然やってきた。 餌を与えていた老人が死んでしまったのだ。 鴨たちに餌を用意してくれる人はもういなくなった。 彼らは生きるために、明日から自分たちで餌を探さねばならなくなったのだ。それに気づいた鴨達に、ようやく渡り鳥の習性が呼び覚まされた。 かつてのように大きく羽を広げ、次の場所へ移動するため舞い上がろうと試みる。だが何度試しても水面から浮き上がることができない。 安住に慣れきった、醜く太った体には、かつての渡り鳥の精悍さは見る影もなかった。 そして飛べない渡り鳥の運命はいかに。 哀れにも死を待つことだった。 危機感を忘れた安住安楽は、心の隙が招く自滅への第一歩である。 人は安易な方向に流されやすい弱さを持っている。 しかし、皆と同じだからという根拠なき安堵感で、真理に目を背けてはならない。 そう、あの野鴨たちのように。 世界最強の企業集団 IBM 社では、安住を貪ることへの警笛を打ち鳴らし、創設者であるトーマス・ワトソンが、哲学者キェルケゴールの【野鴨の哲学】を社員に提唱した。 餌を人間から与えられ、太って飛翔できなくなった野鴨になるな。 常に数千キロを命がけで渡り行く、精悍な野鴨であれ! その社是は IBM に現在も継承されている。 この野鴨のお話は、変化の大切さを教えてくれる話です。 現状維持は衰退への始まり 私もよく言っています。 心地よ
あまり マイナスの話はしたくない私ではありますが、これはどうしてもシェアしておきたいなと思う事柄がありました。Voicyリスナーの皆様にお伝えさせてください。 10時30分ラストオーダーのお寿司屋さんに入った時のことです。 時間は10時10分、夜の10時10分。 そのタイミングに、ほんの少しだけビールを飲んでおつまみを頼んで、そして少しだけお寿司食べたいなと思って入りました。 「ラストオーダー10時半ですがよろしいですか?」 「はい、大丈夫です」 カウンター席に座らせていただきました。そしてビールを1本頼んで、おつまみを取って、そしてお寿司を食べて、気持ちよく最後の1日を振り返りながら非常に一人時間を堪能してたタイミング。 そのタイミング、私はカウンター席にいたということもありまして、厨房の中にいらっしゃる板さんが片付けを始めました。ボックス席にはまだまだたくさんお客様がいらっしゃいました。そしてまた次から次へと海外のお客様が入って来られます。その度にお断りをされていました。 そんな中、板さんが片付けるお姿があまりにも衝撃的だったんです。本当にショーケースの中にあるネタを、きっとそのネタは明日のお寿司に使うネタです。そのお寿司のネタをバットの中にバサ!バサ!バサ!と、まるで物を捨てるようにバットの中に入れ、そして音をガチャガチャと鳴らしながら片付けをするその様。 その時私は最後の締めの巻物を食べてました。冷茶お願いしたところ「有料ですがいいですか?」って言われたので「はい、結構です」ということで、有料で冷茶を頼んで、そして最後の締めの巻物を食べてる時、食べ終わった後にその方が 「今度はゆっくり来てくださいね」 とおっしゃいました。 私はその時、食べ終わった後に一言だけ、本来言うべきことではなかったのかもしれませんが、どうしても気になったがゆえに、そこの胸元にあった名札を見ながら 「〇〇さん、最後の片付けがあまりにも乱暴でびっくりしました。〇〇社長、悲しまれます」って言って、そして席を立ち、21年間通っていたお店っていうこともあって、レジには昔馴染みのお姉さんがいらっしゃったがゆえに 「最後の後片付けがあまりにも乱暴すぎて残念でした」 ていうことは、言葉に出させていただきました。 その店ができる前から知っていて、その店ができてからも社員と共に何回も行き、たくさんのエピ