大変お金持ちの人がいました。
その大富豪は早くにして奥様を亡くし、自分の手で二人の子供を育てました。しかるに、兄は怠け者で随分お父さんを苦しめて、お金を持ち出しては悪い遊びにふけったりしていました。弟は心の優しい青年で、大変親孝行でお父さんをとても大事にしていました。
その後、死に臨んだお金持ちは、自分の死後の遺産は、公平な裁判で分配してもらえねばならない。
兄貴は遺産は「全て自分のもの」と主張。言い争いになってついに裁判になります。
裁判長が「お前たちの父は何が得意だったか?」と聞きます。
二人して「弓の名人でありました!」
裁判長がそこで言います。
「それでは、弓の的を射た者が勝ち、的を射ることができなかった人が負けにしよう」
弓の的、父の肖像画である。
左の目を兄、右の目を弟、それを射た者が勝ち。
兄は見事に的中、左の目を射た。
それを見ていた弟は、弓を投げ捨て涙を流して言いました。
「兄さんが父の左目を潰したのに、どうして父の肖像に弓を引くことができましょう...」
「私はもう何も言いません。負けてもいいんです。財産も何もいりません....」
その姿を一部始終見ていた裁判長が言った。
「わかった。あなた達の言うことを聞き、やることを見ていると、兄はお父さんよりも財産を愛し、弟は財産よりもお父さんを愛しているようだ。弟が全ての財産を相続する」という治りが出た。
そこで弟が言った。
「死んだ父は、右の手で兄の頭を撫で、左の手で私の頭を撫でて愛してくれました。父の心を思えば、遺産は二人で分けるべきが正しいかと思います。どうぞそうしてください。」
裁判長は大層感心した。
「もっともであるし、彼らは弟の言うように解決しよう!」と言った。
その後兄弟は、末長く仲良くなった。
人々はその裁判と弟の美しい心を称えた。
これは高田好胤先生のお話です。
高田好胤先生のお話を聞かせ頂き、是非ともVoicyリスナーの皆様にご紹介したいと思いました。
高田好胤先生、大正13年生まれ。
幼くして父を失い、小学校5年生で薬師寺に入門。奈良にある薬師寺の先々代管主さんですね。話の面白いお坊さんとして、人気を集めた方です。
この話は、もうなんだかんだ50年前ほどのお話ではありますが、私はものすごく心に響くお話でした。
感動的なお話、心が洗われるお話です。
是非 Voicyリスナーの皆様のお役に立てれば幸いです。
高田 好胤
[たかだ こういん]
大衆教化の伝道僧として副住職在任中は境内で修学旅行生に説法する。管主就任し遷化するまで薬師寺伽藍の復興に、お写経勧進をしながら専念する。更に、大東亜戦争戦没者慰霊法要のため、就任より長年にわたり各地の戦跡を巡礼する。
著書
「心」(徳間書店刊)
「道」(徳間書店刊)
「母 父母恩重経を語る」(徳間書店刊)
「観音経法話 上・下・偈頌の巻」(講談社刊)
「親の姿・子の姿」(講談社刊)
「まごころ説法」(主婦と生活社刊)
その他多数