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「ちょうどいい暮らし」2022年5月13日

 


本日は Voicy さんのハッシュタグ企画「#ちょうどいい暮らし」についてお話をさせて頂きます。

どんな内容のお話をしようかなーと色々考えたところ、まさに私が32歳で離婚し、その後どういう場所で暮らしを営んだのかっていう事を、お話しをさせていただければなと思います。

23歳で結婚し、24歳26歳で子供を産みました。長女は今年36歳、長男は34歳になります。私も今年1月12日に60歳還暦を迎えましたが、過去を振り返り「本当色々あったなー!」と思います。そんな中、今日は暮らしに焦点を当ててお話をさせて頂きます。



32歳の時、2人の子供を連れて、車に積めるだけの荷物を積んで家を出ました。9年間の結婚生活にピリオドを打つって決めたのは、28歳から32歳までの4年間本当に悩んだんです。本当に悩んだ結果「残された人生のが長いなと...」思って一大決心をして家を飛び出しました。

生活力もない、ある意味行くあてもない中、最終的には1人で生きる道を選択せざるを得なくなって、どこに住もうかと色んな所を訪ねましたが、離婚をした人を住ませる場所となると、非常にハードルが高いということで、賃貸物件を探して、色々と不動産会社様を回りましたが、なかなかいい物件が見つからなかったんですね。

1度見つかったところが、三軒茶屋の本当に素敵な所を見つけたんですが、最終的には、まだ離婚も成立していないということで、お断りの連絡を受け途方に暮れてる中、自由が丘のある不動産会社様、そこにご縁ができました。

たまたまぷらっと立ち寄ったところなんですが、事情を話したところ「あなたにぴったりのところがあります!」っていうことを仰っていただきまして、物件の案内をしてくださいました。

その物件は、自由が丘から歩いて10分ほどの場所。住所で言うと目黒区緑が丘二丁目でした。まさに高級住宅街!「この高級住宅街に私の住む場所なんてあるのか???」と思ったところ、ご夫妻が大学教授で、お子さん達が全員成人をし、その家を離れられた。そして大豪邸ということもあって、住まいが広すぎる。「その一部を貸すことができませんか?」っていうことで、一部だけを間貸しをしてる物件をご紹介いただいたんですね。

玄関は入り口は一緒です。高台のなだらかな坂を登り、そして階段を10段ぐらい上がり、そこに玄関があって、左側に行くとオーナーの方々の大豪邸。そこからまっすぐ庭の片隅から歩いて、後ろ口の勝手口から入ると四畳半一間の場所がありまして、そこを借りることとなりました。

見た目は大豪邸に住む、その時は32歳ですから、まだお嬢さんまではいかなくても、若い女性にはなってたのかも分かりませんね。若いは余分ですね。ですが、実際は本当に庭の側の通路を通って、裏口の勝手口から入り、そこから四畳半一間のお家で住むような形でした。

パイプベッドがありまして、そのパイプベッドの下にコンテナを用意し、そしてコンテナをいくつか並べながら、全部プラスチックのコンテナでした。ですが、パイプベッドの下にはカーテンレールを敷いて、下にある荷物が見えないように工夫をし、小さいながら狭いながらも綺麗に住めるような形をとりました。これが私のスタートのタイミングでした。

そこから株の業界に身を置いた時に浜町、そして中洲、最終的には人形町。そこで営みをこの暮らしに関しても話し始めるとキリがないんですが、まさに一番最初に住んだ浜町。浜町は夜の遅いタイミングに見に行きまして、その夜の遅いタイミングに見た物件をすぐに決めたんですね。

暗い時に見た中はとっても良かったんですが、明るい時に見た外側からの外見は、非常に古かったっていうことを、物件を見るタイミングを間違えたっていうことも含めて、1年半ほど住みました。

その後に、中洲の物件に移りましたが、そこはまた素晴らしい景色だったんですね。1 DK、当時家賃が確か125000円とあったんですが、125000円はとてもじゃないけど出すことが出来ないということで、仲介賃貸業に営んでらっしゃる方に「なんとか10万円までで家賃交渉お願いできませんか?」っていうことで、奇跡的にも10万円の家賃になったんです。

そしてそこの場所がまた凄くってですね。そこが私の運が開けたタイミングだったらかも分かりません。

恋愛と物件は一目惚れが1番と言いますが、もうとにかくその物件が気に入って、そして「ここで絶対に住みたい!」と思って、その場所で4年ちょっと住ませていただきました。その後、人形町に移り、勝どきにマンション、賃貸マンションで16年、東京には36年間住んでおりましたが、1番最初、結婚した時は品川区、最寄り駅は大森でした。その大森で9年。その後自由が丘、そして浜町、中洲、人形町、勝どき。

今振り返ってみた時に「背伸びがやがて身の丈になる」まさに「暮らしってすごく大事だったなぁ」と思うんですね。背伸びをしなくてはならない家賃を、自分の物件として見つけたいっていうことで、営業職に身を置いて懸命に仕事で結果を出し、そこに見合う自分を作ろうと努力しました。そして最初はコンテナ生活で、ある意味、テーブルもクロスでごまかしをするような、そういう状況の中、決して裕福な暮らしではなかったです。

株で大失敗をして4000万円の借金を作ってしまったのが35歳の時。そこからトリプルワークをしても、なかなか借金返済が不可能で、本当に大変な状況でした。ですが、35歳の時に、未経験の営業の世界に身を置いたおかげで、結果・成果を出すことが出来て、報酬がどんどん変化していたんですね。

最初は年収250万円。手取り金額は月額18万円。18万円のうちの10万円が家賃に変わるわけですから、生活は当然が圧迫します。ですが報奨金、その報奨金を通し、どんどんどんどん年収が上がっていくプロセス。結果・成果を出すことによって、期の途中に基本給が4万円アップしたり、それによって1年目が250万年収が、次の年には480万円、600万円、720万円、850万円。職場の先輩は「給料絶対上がらないシステムだよ。微々たる報奨金しかつかないからね」って言われたにも関わらず、確実に年収ベースが上がっていたんですね。

その結果、中洲から人形町の物件に移り住み、その後勝どきにっていうことで暮らしはどんどん変化していきました。

貧しいながらも、質素に暮らしながらも、ある意味デザイン、例えばカーテンだったり、そして見せないように綺麗な布でカバーしたり、テーブルクロスでカバーしたり、そういう工夫をしながら、なんとなく豊かに見えるようなあり方を工夫して参りました。

本当に無一文だったので、何も持たないでの生活からの、今20…離婚からでしたら28年の歳月が流れましたが、人生が大きく変化したなと思います。

毎年毎年、35歳で教育会社に入ってからは、ボーナス賞与を頂いた時には、家具を買いました。自分のマンションには不釣り合いの家具ではあったんですが「いつかこの家具に相応しいような場所に住みたいな!」っていうことで、自分へのご褒美として、家具を一つずつ揃えていきました。

それも今、大切に、今の住まいでも活用しております。

このお話が、何かのお役に立てればなと思うんですが、


人はなりたい自分に絶対になれる

理想的な自分の未来像!

暮らしのスペース!

どんな生活を営んでるのかっていうことを鮮明にイメージし

紙に書き出し

紙に書いた目標を口に出し継続し

結果が出るまでやり続けることによって

確実に人生は好転するということを、私は身をもって体験しました!

どんな暮らしを営むのか?

それぞれの選択があるかと思うんですが、今日のお話がVoicyリスナーの皆様のお役に立てれば嬉しいです。

人生が本当に大きく変わったのは25年前、営業の世界に身を置いたおかげだなっていうことを感じます。

初めての仕事「絶対に営業だけはやりたくない!」と思ってた私が、営業職に身を置いたことによって、人生が好転しました。


いかがでしたでしょうか?

参考になればありがたいです。

振り返ってみたら、本当に大変でした。

大変とは大きく変わると書きますが、

自分を大変な状況に追い込んだからこそ、今がある。

大変な状況が与えられたからこそ、今がある。

とそういう風に思えるようになるんだなあということを、過去を振り返って感じる今日この頃です。

今回のこの「#ちょうどいい暮らし」どんな内容でのお話お届け出来るかなと思いましたが、一つでも参考になると嬉しいです。


人はなりたい自分に絶対になれる!

諦めない限り


自分の今住んでる環境も、お付き合いしてる人も、ついてる仕事も、全て自分自身の選択です。

今の仕事に十分力を発揮出来ていますか?

今の環境に満足していますか?

今お付き合いしてる人から、たくさんの刺激を受けていますか?


いろんな意味で、振り返る機会を頂いたかなと思います。

是非参考にしてくださいませ。

最後までお付き合いくださいましてありがとうございます。





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