ペンネーム匿名希望50代女性からです。
朝倉先生、いつもを学びと気付きをありがとうございます。
今回は人間関係について相談させてください。
私は家庭菜園をやっているのですが、耕運機や草刈機などは主人に頼らず自分でやっているため、管理も私が行っています。同じく家庭菜園をやっている友達がおり、よくそれらの器具を貸して欲しいと言うので貸しています。
そんな中、先日耕運機が壊れてしまい、彼女が保管していたため、修理の対応は彼女が全てやってくれました。それはありがたいのですが、支払いは私の私物だから私が払うべきなのか、でも二人で使っているのだから割り勘にしてもいいのでは?
私が反対の立場だったら、借りているのだから半分払わせてほしいと伝えます。
人の考え方は各々なので、この言葉を求めるのはどうかと思いますが、今後もきっとを貸して欲しいと言ってくると思います。
もしかしたら、私より使用頻度は多いかもしれませんし、私は彼女にとって都合のいい人になっているようにも感じます。
頼まれごとは「はい」か 「YES」 か「喜んで」
モテる人は人を喜ばす人。
これは徳を積むこと?
など、今回の出来事をどう捉えたら良いのかわからなくなりました。
先日のセミナーで「人は自分と同じ意見の人を常に探している」そう思うと、彼女は私とは違う意見の人なので、今後の付き合い方にも違和感を感じます。
お金のことで愚痴ってしまい、自分は人間が小さいと自己嫌悪にも陥りそうです。
長文失礼しました。
よろしくお願いします。
はい!匿名希望さん。
はいこの問い、ものすごく大切なポイントだからこそ、チャプターを分けてあえて話させて頂きますね。
今回はあくまでも草刈機耕運機の問題ではありますが、これ他の問題でも全く同じことが言えます。ぜひチャプターを分けてお話しさせて頂きます。
はい、Voicyリスナーの皆様、今回のこのテーマ、実はとっても大事なテーマなんです。
是非とも聞いてくださいね。これは、ものを他のものに変えてみればわかりやすい話です。
はい!ペンネーム:匿名希望さん、50代女性からの問いですが、
ここはですね、もうはっきり申し上げてよろしいですか。
もうすでに自分の持ち物を相手に貸して、それに対して相手が壊して、それに対する対応に関して相手が調べるのは当たり前。
その上で
「全ての金額を自分が払うっていうのは割に合わない!」
「そんなのはないだろう!」
これが本音ではないかなと思うんですね。
例えば、自分が逆の立場であったら、人の私物を貸してもらって、それを頻繁に使って壊した場合、これはある意味いい方は悪いですが、一般的に仕事人の世界であれば、自分が弁償してお返ししたいと申し上げるっていうのが、これが一般的な当たり前ですよね。
例えばこれが耕運機だとか草刈機ではなく、自分が日常を使おうとしているドライヤー、これほとんど使わないからっていうことで
相手が
「ちょっとそのドライヤーを貸してくれませんか?」
「いいですよ」
って言って、それを使って壊れたとしたら、弁償するの当たり前ですよね。
例えば金額が小さいからとか、金額が大きいからとなるから、ここ迷うんであって、これがもしも乗用車だったらどうですか。
例えば
「うちの車ほとんど使わないからね、使ってもいいよ!」っていうことを言って、相手が使って壊してしまった。それに対する修理の手続きはもちろん、壊したものに対する弁償も相手がするべきものであるということは、ここを理解できる部分ですよね。
きっと誰が考えても、賠償弁償するのは壊した側。
それに対し「お金を払わせてください」って言うべきことは当たり前であるっていうことは、想像がつくと思うんです。
それに対して、逆にその感覚が無いこと自体が問題で、もっと言い方を変えると、その感覚のない人に貸してしまってることに、問題があると捉えてみるといかがでしょうか?っていうことなんですね。
これは物事を人で見るんではなくって、よくある言葉「法で判断し情で処置をする」
例えば貸してもいい、壊した時の例えば
「修理代金は折半にしましょう」
もしくは
「貸してあげます。ですが、壊れた場合は修理代金はあなたが持ってくださいね」
ということをあらかじめ決めていたとしたら、これ全く問題にならないんですが、後になってのことだからややこしいんです。
もっと言うならば、この方と質問者さんは価値観違います!と言うことが文書の中でも出てるんですね。
私が反対の立場だったら「借りているのだから半分払わせてほしい」と伝えます。ということで、今回は率直に聞いてみればいかがですか。
「今回の修理代金に関しては半分お持ちいただけませんか?」
その時に
「なんで私が持たなくてはならないんですか?」
って言われたら、この後は貸す必要はないと思います。
もっと言うならば、そういう価値観の持ち主であれば、お付き合いも難しいのではないかなと思うんですね。
ところがご自身が遠慮してるだけで、それを率直にお伝えしたところ、相手は「はい、もちろんです。半分お支払いさせてください!」っていう答えが返ってくるかもしれない。
だからこそ、まだ言ってもいないのに、自分が相手からこういう風に言ってもらいたいなーと思って求めるよりは「率直に、非常に言いにくいことではあるんですが、今回の修理代に関しては半分お持ちいただけませんか?」っていうことを率直にお話しされた方が良いのではないかなと思うんですね。
心の中でモヤモヤして、人間関係がこれで終わるよりは、逆に本当に言いにくいかも分かりませんが「率直にお伝えしてもいいですか。今回の修理代金に関しては、お互いに折半で行えませんか?」
基本的に心の中では全額払ってもらいたいと思ってるかもしれませんが、ここは譲歩案で「修理代金に関しては半分持っていただけませんか?その上でまたお使いください」
なのか、今回でこの貸し出しは一切やめてしまうのか?
ここも判断すべきではないかなと思うんです。
間違ってはならないのは、「情で判断し法で処置をする」
日常「いいよ!いいよ!使って!遠慮なく使ってね!」って言いながら、最終的に問題が生じた時に、この人は常識がないとか、なんで修理代金も払ってくれないのって言ってしまう方が実は問題なんです。
よって「法で判断し情で処置をする」
あらかじめ決め事を最初に決めていたかった私たちの方にも、私の方にも問題はないのかなっていうことも含め、思い切って自分の本音・本心を伝えてみる。
それによって相手がどのような答えが来るのか?
そこを判断の一つの基準にしてみてはいかがでしょうか。
「情で判断し法で処置をする」
ほとんどがこれで関係性が終わってます。
日常は「いいよ、遠慮なく使って!」「普段使ってないから大丈夫よ!使って」って言って壊れた後「弁償もしてくれないの、なんで?」これが一番人間関係を壊してしまうあり方となります。
これは物・事、全て、金額が高い安いではなく、一つの物事として見ていただければなと思います。ドライヤーとか乗用車の事例でも伝えましたが、その時、一般的にはどういう判断するのが望ましいか。それでもやっぱり自分と価値観の合わない人は世の中にはいっぱいいます。
その時に相手のせいだ!
ではなく、それを「いいよ!」っとしてしまったのは、自分だと。
自分がそれをよしとしてしまったがゆえに起こった問題。
こう思えば、問題解決の糸口は見出せるのではないでしょうか。
是非参考になればありがたいです。