「怖い」ものにこそ挑戦する
デビュー以来、超多忙な日々の中で、ピンチを乗り越えられた習慣とは
1970年〜80年代、私はケイ(増田恵子さん)と2人でピンク・レディーとして活動していました。毎日。朝から分刻みで仕事をし、終われば明日の資料に目を通す。途中で意識がなくなり、すぐ翌朝がやってくる。そんな日々を過ごしていました。
どんなに疲労困憊でも、曲のイントラが流れれば一瞬で「楽しい!」と感じる気持ちのスイッチが入っていました。
目の前のことに楽しく取り組む。大変なことの中にも楽しさを見つける。これが私の長年の習慣になっています。こう言うと、もともとタフでポジティブな性格なのだろうと思われるでしょう。でも本来の性格はその逆です。幼い頃は引っ込み思案で、言いたいことも言えない子でした。
それが変わった最初のきっかけは、やはり、10代で歌手を目指し始めた時「プロになる」と心に決めてからは、厳しいレッスンも苦にならず、何度オーディションに落ちようとへこたれなくなりました。
その先で、ようやく叶ったプロデビュー。夢を叶えた喜びは計り知れないものでした。だからこそ、どんなにハードな毎日でも楽しく取り組めるようになったのでしょう。
もう一つ、歌手を目指した時から始めた習慣があります。それは「怖い」と感じたものにこそ挑戦すると、言うこと。怖さを感じると、人は本来の実力が出せなくなるものです。ですから「私には無理かも、難しいかも」と思うことがあれば、あえて私は積極的に体験するようにしました。
実際に体験すると、大抵のことは想像したほど恐ろしくないとわかるのです。それを知るたびに「次は〇〇に挑戦しよう!」と言う姿勢が育っていきました。
何億縁もの借金を抱えて
そんな私ですが、30代に入って間もなく、大ピンチを迎えた時期があります。ピンク・レディーを解散し、ソロ活動を始めて数年後に立ち上げた個人事務所が、経営危機に陥ったのです。
それまで私は歌だけに邁進していて、経営については全くの無知。帳簿を見てもよくわからないし....と、全て人任せでした。そのせいに抱えた、億単位の借金。弁護士に相談したところ、会社をたたんで大手事務所に入り直すのがベスト、とのことでした。
でも私は「それでいいの?」と考えました。歌以外何もできず、周囲に守られ、誰かに用意された道を進んできただけの私。「そんな人生をこれからも続けるの?」と自問した時、答えは決まりました。代表として、会社を自分で立て直そうと。
以降は、ピンク・レディー時代と同じくらい多忙な生活。朝は経営者としての仕事、昼間は歌やドラマの仕事。そして夜は「学ぶ」時間となりました。会社の運営とプロデュース、と言うより社会人として、圧倒的に足りないスキルを身につけなくてはならなかったからです。
経営者の方のお話を聞いたり、セミナーに通ったり、交渉ごとなど「意思を伝える」訓練もしました。大人になっても相変わらず口下手な私でしたが、いつしか、銀行を説得して融資を取り付けたり、雑誌の編集部に飛び込み営業をかけてコラボ企画を実現したりと、自分でも驚くほど変わることができました。
そして数年後、晴れて借金を完済しました。当時の話をすると「よく大変な苦労されましたね」と言われるのですが、私の感覚はそれとはそれとは逆です。
その数年間は私にとって「冒険」でした。知らない世界に足を踏み入れ、失敗したり恥をかいたりしながら、できなかったことが少しずつできるようになっていく。その毎日にワクワクしていました。
何事にも楽しみを見いだして、怖いと感じることにも飛び込む習慣を身につけていたおかげです。この習慣は今も、私の原動力になっています。
不足や衰えばかりに目を向けない
50歳以降、新しい習慣もできました。年を重ねてできなくなることが増えたり、衰えを感じたりしても「これが自分」だと、まず受け入れることです。物事がうまくいかないとき、焦ったり自分を責めたりするのはやめよう、と考えています。
例えば私はもともと眠れない体質で、以前は夜ごと「眠れない、どうしようと!」焦ってはストレスを溜めていました。でも今は「眠れないなら、眠れないでいい」と考えます。あくせくせずに、好きな映画やドラマの配信を見るなどして過ごせば、ストレスフルな時間は楽しいものに変わります。
「年齢」に関してもそうです。シンガーとしての表現を追求し、それができる体と声を磨くことは怠りませんが、スタミナだけはさすがに、若い頃のようにはいきません。それに無理に抗うのではなく、ここぞと言う場面だけ「頑張れ私!」と自分を応援する。決して、できないことや、足りないものにばかり目を向けないように心がけています。
これから年齢をさらに重ねることも、怖くはありません。何かができなくなった分、他の何かがきっと、ふくよかになっているはずですから。「そこはどこ?」と探して見つけて、自分の未来に、楽しく取り組んでいきたいですね。
1958年、静岡県生まれ。76年「ピンク・レディー」としてメジャーデビュー、一躍人気に。81年の解散後はソロ歌手、俳優としても活躍。ソロデビュー42年目を迎えた今年3月には「未唯 to 未唯未唯 1981年-2023年 ALL TIME BEST」をリリース。
未唯ちゃん、歌手の未唯ちゃん、実はピンク・レディーの未唯ちゃんが、私は昔大好きでした。そして今も未唯ちゃんは素敵だなと思います。
元々は引っ込み思案で、内向的だった性格の未唯ちゃんが、ピンク・レディーと言うもう、もう一線を風靡した活動をされて、私たち学生のころ本当に未唯ちゃん、ケイちゃんが出てくると、どうやってあの踊りを覚えるのって言うぐらい、私の友人は、私の友達はみんな、あのダンスを、あのペッパー警部はじめ、振り付けを何回も何回もテレビを見て練習して覚えるんですよね。
しかも今みたいにビデオ録画とかできない中、テレビは逆側に映るはずなのに、よくまあこんなに上手に踊れるなって言うぐらい、器用な友がたくさんいました。
カラオケで、ピンク・レディーさんの歌がかかってくると、昭和30年後半、40年代生まれの方々は自然と体が動くって言うぐらい、本当にすごいなと思いますよね。
そんな未唯ちゃんも苦労されたんです。大変だった時期があったんです。その大変だった時期を乗り越え、その大変だった時期さえも、それがあったからこそ、その冒険ができたからこそ、良かったと思えるようになる。
すごいなと思います。
「眠れない、どうしよう...」ではなく「眠れないなら。眠れないでいい」なんかこのフレーズもそうなんですが、私も深い睡眠の部分が非常に浅くて、毎日睡眠の質を測ってるんですが、もう深い睡眠の部分が14分とか、11分とかって言うのがしょっちゅうで、これって寝てることになるのかなと思うんですが、もうそんなことを考えず、まあお布団があって、枕に頭をつけて眠れるだけでも幸せだなって言うこと。
今あることに感謝!
足りないところに目線が向けるのではなく、あることに感謝!
年齢に関してもそうですってありますが、本当に年を重ねて、これまで見えなかったところがよく見えるようになりました。目もやっぱりどんどんどんどん視力もね、変わっていくんですが、だからこそ父がよく言ってたことは思い出しました。
「目が見えへんようになったら、心の目で見い!」って。
「心の目で見れるようになってくる」そういえばそんなこと言ってたなと。「心の目で見るってどう言うこと?」って、その意味が年を重ねると色々とわかるようになるんです。
今日の未唯ちゃんのお話、いかがでしたか?
私はピンク・レディーのケイちゃんも素敵ですが、未唯ちゃんが実は昔から好きでした。なぜでしょうかね。なんとなく、なんとなくちょっと近いものを少しだけ感じることがありました。
厚かましいですね。
未唯ちゃん、これからも頑張ってください。
あっ!未唯ちゃんではなく、未唯さんですね。
はい、素敵な女性だと私は思います。
いい習慣で人生は好転する。特別なことではなくても、日々の習慣は未来につながっています。もっと楽しい毎日に、より充実したい生き方に、なりたかった自分に、気がつけばなっている、
ちょっとした積み重ねが、きっと確かな変化をもたらしてくれます。