ペンネーム、匿名希望40代の方からです。
またバイトテロがニュースになっていました。
私の価値観ではあり得ない行為なのですが、なぜこのようなことが横行するのでしょうか?そしてなぜそれをインターネット上で公開するのでしょうか。
私も人を雇う立場なので、他人事ではありません。
バイトテロ、あるいは社員による不正などは社員教育で防げる問題ですか?
それともある一定の確率で起こりえるリスクと捉えておいたほうが良いのでしょうか。
若い世代の方々とも触れ合う機会が多い朝倉先生のご意見を聞いてみたいと思いました。
はい、ペンネーム匿名希望さん。
今回のバイトテロニュースの件でのご質問。
私は少し、角度を変えて、この件をお話しできたらなと思います。
参考になるかどうかも含めて、ぜひチャプターを分けてお話をさせてくださいね。
どうぞよろしくお願いします。
全く、角度を変えてお話をさせてください。
今日、このペンネーム匿名希望様から頂いたメッセージを読みながら、あるオーナーさんがお話をされてたことを思い出しました。
ホテルの中にあるショップさんでのお話なんですが、とても素敵な小物であったり、宝石類であったり、またいろんな素敵なものが展示されてる中、非常によくしてもらったビジネスオーナーの方がいらっしゃいます。
その方は女性経営者なんですが、私に「なかなかアルバイトが続かない...」とスタッフが続かないって話をされてたんですね。そしていろんなお話をお聞かせ頂いた中で、こんなことを仰ってました。
例えば宝石類、アルバイトで入ってくださってる方が、一つずつ物を盗んでいくと。そして、やはり数多く宝石類があったり、数多く陳列してるものの中で物が一つ減ったり、2つ減ったりしても正直わからない。
だけど考えてみると本当にそれを行ってる人がいて、監視カメラにそれが収まってることもある中、自分が採用した方が、それをやってるっていうことは本当に嫌なことであると。
アルバイトを採用し、そして実際にお客様のために、接客を営んでくださる感じのいい雰囲気の方を採用したとしても、物を盗んでいく....
しかも、それは宝石...
それを聞いた瞬間にびっくりしました。
とはいえ、これは他の業界でも同じことをお聞きしたことがあるんです。
毎日社員が会社の中にある備品を一つ一つ持って帰る。1つずつ持って帰るって一体どういうことなんだろう。
例えば、切手1枚にしても、その切手を毎日1枚社員が盗んで行ったとしたら、塵も積もればではないですが、55円の切手も10枚集まれば550円。それが100枚だと5500円。いつのまにか、それだけ塵も積もればの話になってしまう。
それに対して、ずっと監視チェックができるかっていうと、正直そこの部分って難しい部分だと思うんですね。要はその人の持っている価値観であったり、道徳心であったり。
やはり、それをやっていいか悪いかっていうことの基準は、私はやっぱり基礎教育である、
家庭教育の問題、そして学校教育、社会人教育は最終的な問題だと思うんですね。
私が小学校教員をしてた時も、やっぱりいろんな事柄を起こす子供がいました。でもその事柄だけを責めてしまって、注意指摘をしてもなかなか直らない。
なぜそのような問題が起こるのか?っていう、この根底的には何があったのかっていうことも、実は本当に調べてみたことがあります。
子供に直接聞いても子供はよく答えてはくれない。家庭訪問の中でお母様とお話をし、学校でどういう事柄を起こしているのかっていうことを報告した時、家の中では本当にお利口さんで、親には一切の心配もかけない子。
ですが、その反動が学校で暴れたり、わめいたり、物を壊したり、騒いだり、それはなぜ起こるのか?
その子は、私が小学校5年生の時に担当させて頂いた子供でしたが、ずっと小学校1年生からいろんな先生からの申し送りによると、落ち着きがなく、地頭は悪くないですけども、乱暴な子っていうレッテルを貼られてました。
最終的に、なぜそのような事柄を起こすのかっていうことをずっと研究し、家庭訪問を通してお母さんとたくさん話をした中で原因が分かりました。
理由は寂しかったんです。
自分自身の寂しさを家庭では表せない。これは以前Voicyでもお話をさせて頂きましたが、彼のお兄ちゃんは重度の障害を持って生まれたお子さんでした。
お母さんがその重度の障害を持ったお子さんに手がかかりすぎるっていうことも含め、彼のことはほとんど見るゆとりも余裕もなかった。家ではとっても偉い、賢い、聞き分けのいい子。その反動が学校で出てるっていう事も含めて、やはり前任の先生たちも、いろいろとお話をしたかったのかもわかりませんが、なかなかそこまで深い原因を追求することができなかったのかもしれません。
そんな中、たくさん話しました。
そしてお母様にお願いしたのは、抱きしめてあげてください。お兄ちゃんに時間がかかることはよくわかります。でも彼は一番寂しいのかもしれない。
「ぜひとも、ぜひとも抱きしめてあげてください」ということで
「毎日抱きしめてください!」ということを私は生意気ながら、当時私はまだ子供も産んでないタイミングです。
そんなタイミングに、偉そうに子育てを経験してるお母様に私からお願いをしました。
お母様はそれを実践行動に移してくださいました。そして彼を毎日のように、学校から帰ってくると抱きしめ、学校に行くタイミングも抱きしめ、そのうち彼はとっても穏やかな子になりました。
学校でもさらに勉強ができるようになり、周囲から「乱暴な子」っていうレッテルを貼られてた彼が、本当に穏やかな表情になり、いい子になってくれたこと、これはやっぱり愛情不足だなっていうことを私は感じたんですね。
いろんな事柄を起こす人たちがいます。
ですが、本来であれば家庭教育の段階でどれだけの愛を持って育ったのか。ほったらかしで、ある意味「うちの子に限って!」って言ってる人も中にはいるかも分かりませんが、子供たちはシグナルは発信してるんですね。
そしてその愛情を豊かに受けなかった子供が、自分自身の存在を認めてほしくて、認めてもらうために、承認欲求を歪んだ形で行っているっていう事も、中にはあるのではないかなと思うんですね。
物を盗んだり、ものを壊したり、幼児性がそのまま大人になっても抜けない。そんな人たちは、世の中にいっぱいいます。
ですが、後付の愛情によって変わることもあるっていうことも含め、じっくり話をする。そしてその事柄にどういう意味があって、どれだけ大きなマイナスになるのかっていうことに対して、誰もゆっくりじっくり諭す人もいない。
これも愛情不足の表れなのではないかなと思うんですね。
真剣に叱ってくれる人には愛があります。ムキになって怒ってくれるっていう事も、これもやっぱり労力がいることですね。
でも、なぜムキになるのか?
なぜ真剣になるのか?
それは大事だからです。
誰も真剣に怒ってくれなかった。
誰も真剣に自分に向き合ってくれなかった。
そんな中で、自分の自己肯定感、自己承認欲求をどのように表現していくのか。
誤った形でありますが、その陰には、その意図には「どういう寂しさが加わっていたのか?」っていうことを感じることもあるんですね。
一番最初にものがなくなっていくっていうことは、非常に痛々しい事件です。ですが、見た目の美しさ、見た目が感じよくても、心の中に人のものを盗んだり、ポケットに宝石を盗んだり、そしてそれをどこで何をするんでしょうか?って言った時に、悲しいなと思いましたが、それも現状で隠しカメラ、監視カメラをつけていかなくてはならないという事柄って、本当にショックですよね。
私も同じようなことを過去に味わったことがあって、本当に衝撃でした。
ですが、それは社会人教育の中で解決できることではなく、後付けの教育には限界があります。
家庭でどれだけ愛情を持って接してきたのか?
いい子でいなければならないと思って、そして家庭ではいい子をぶって外では悪いことをする。これはやっぱり心の乱れがどこかに現れるんですね。
この今回の問いかけに対して、全く私は正しい答えになってないかもしれませんが、今日の、質問者様の質問を通して、今私が思い出したことをお話をさせて頂きました。
この後付けの教育によって、改善できるのは仕事で結果・成果を出せなかった方が、後付の教育で売れるようになったり、そして知識を蓄えることによって、その後の人生が変わったり、これは十分あり得ることです。十分成り立つことです。
ですが、根底にある人柄、人間性を変えることは不可能です。そこは積み重ねた子供の頃からの生い立ち、幼児教育、それを通してその人の人格が形成される。
我々教育業界にいるものは、人の人格形成までは担当することは不可能です。ですが、仕事においての成果・結果を出す。そのあり方は後付の教育で十分成り立ちます。だからこそ、
教育に終わりなし!
ここは強調します。
今回のペンネーム匿名希望様のご質問、バイトテロニュースの件。
このバイトテロニュースを通して私が感じたこと。
過去のいろんな方々から教えてもらったこと。
そして自分自身が見たこと、聞いたこと、それを通しても返答をさせて頂きました。
何か一つの参考になればありがたいです。
後付けの教育で変わるのは仕事力です。
その人の才能・技能・能力は、後付けの努力によっていかようにも変化はします。
ですが、これまで培ってきた人柄、人間性を変えるのは容易ではないんです。ですが、自分自身が、今の自分を本気で変えたいと本人が思って、努力をすることによって、性格も変えられるということも、やはり心理学でも言われてるのは、これはあくまでも自助努力、本人の意思が明確であることが一番の条件ですね。
いかがでしたでしょうか。
このように何か質問がありましたら遠慮なく、チャプター欄に記載させていただければなと思います。Googleフォーム宛にお願いいたします。
あくまでもこれが正しいとか、こうでなければならないという形ではなく、一つのものの見方考え方として、こんな意見もあるんだなということを、ご自身の参考にお使いいただければありがたいです。
質問者さんありがとうございます。
私は教育の分野に身を置いて、もう気がついたら30年以上の歴史があります。
小学校教員時代は臨月まで教壇に立たせて頂きましたが、子供たちの行うことには必ずその行為には裏付けがあるんですね。
なぜそれを行ってるのか?
寂しさの表れであったり、自分が言葉に出せないもどかしさを物に当たったり、物を壊したり。絶対にと言ってもいいほど、その裏には言葉に出せない、その子供なりの葛藤がある。その子供なりの葛藤が大人になっても、子供のまま成長してる人も中にはいるかもしれませんね。
私は若い世代の方々と触れ合う機会が多いです。ゆとり世代、Z世代。
「朝倉先生、最近のゆとり世代、Z世代の方々は扱いにくくって...」とかいろんなことをお聞きしますが、研修を通して触れ合う若い世代の方々を見て、本当にすごい可能性を秘めてるな!誰も教えていないから知らないから出来ないだけであって、きちっと教えると驚くほどできます。
だから最初から諦めるのではなく、
教育は本気と根気と覚悟がやっぱり大事だなと思いますね。
本当に教育は本気と根気と覚悟が必要です。
もっというならば、見た目はめちゃくちゃ誠実そうに見えて、本当にものすごく性根が歪んでたりずるい人。逃げる人の行為に対して、完全にそれに対して誠実に対応しようとしない。見た目で人は判断できないな!っていうそんな事柄もよくあると耳にします。
私自身も、残念だなと思うこともありますが、これはいろんな人がいるからこそ、まあある意味勉強になりますね。
見た目の感じの良さに騙されてはならない。
それはあくまでもその人の一面であって、腹は全然違うかもしれないということを、
もっと勉強をしなさい!
もっと勉強しなさい!
そういうことを教えてもらってるんだなということを感じてます。
私のあくまでも所感です。
ドロンジョ |