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「無知は罪」—命を語り継ぐ落語と、仲間と過ごした奇跡の時間 2025年8月6日



昨日、2025年8月5日、このVoicyをスタートして丸4年、4周年を迎えることができました。

リスナーの皆様が私のVoicyを一生懸命聞いてくださっているおかげで、4年継続することができました。

本当に、本当に、本当にありがとうございます。

その大事なことを、実は私は昨日まで忘れていました。

そして、べっくさんとお会いして、べっくさんが身にまとっていたVoicyTシャツを見て、「べっくさん、なんでVoicyTシャツ着ているんだろう」と思いながら、またそのVoicyTシャツの着こなしもとても良くて。

白いパンツに、とっても綺麗な靴を履いていまして。靴を履いていまして、靴をみんな履きますよね。

靴の清潔感と白いパンツ、そしてVoicyTシャツがとても良く似合っていたんですね。


そして、もともとこの8月5日の『パラオの星』を一緒に、べっくさんとまた社長である牧野紀子と見ようということも含めて、なぜ約束したのかというと、Voicy4周年ということもあってお声掛けをさせていただいたにもかかわらず、ちょっと他のことで頭がいっぱいで、めちゃくちゃ大事なことを忘れておりまして。

いやーべっくさん、ごめんなさい。本当に申し訳ありません。

今回、べっくさんの文字起こしブログ、もう最後の、皆さん私の、ごめんなさい。私の好きではない写真ですが、これはもう私のバチですから。

バチが当たりまして、バチということも含めて、今回は掲載させていただきます。

「あんた、今日は何の日?何の日なんか知ってる?朝倉千重子、Voicy今日で4周年。4周年やでって。」



はい、というふうな感じで、このセリフがぴったりな、もうこれね、動画を切り取ってるんですよ。動画を写真にしてるんですが、皆さん、これは好きな写真ではないですが、私が大事なことを忘れてしまったということもありまして、貼らせていただきます。

はい、ということで皆さん、おかげさまでVoicy4周年、迎えることができました。

本当に、本当に、本当にありがとうございます。

これからもどうぞよろしくお願いします。


Voicyリスナーの皆様、昨日は、桂春蝶師匠の『落語で伝えたい思い』、第11作『パラオの星』。

『パラオの星』を聞かせていただきました。

落語家、桂春蝶さんの講演会。このお話は本当にすごかったです。

戦後80年という節目の年に、まさに魂に語りかけるような3時間の語りでした。

落語というイメージを完全に変えてくれたのが、桂春蝶師匠です。桂春蝶師匠の語りは、本当に言葉が命を宿し、私たちの心にぐんと響くんです。

過去と現在、そして未来までにもつながるような、まさに生きた歴史そのものを、ご自身の声で、言葉で語ってくださいました。

3時間という長丁場ではありましたが、あっという間の時間で、気がついたら9時30分を超えてました。

私は、その間ずっと、涙があふれ出ました。
それは悲しいからではないんです。

「無知であることは、時として罪になる。無知は罪。」

本当にそうだなと思いました。
もうあまりにも知らないことが多すぎて、自分の心に強く突き刺さったような言葉でした。

戦争のこと、命のこと、国のこと、私たちはどこまで知っているのか。
「私はどこまで知っているのか」と言えるかというと、本当に知らないことだらけです。
知っているつもりになって、実は何にも知らずに、今という時代を私は生きているのではないか。


桂春蝶師匠の語りは、そんな私自身の甘さや浅さを、静かに、ですが、確かに問いかけてくれるものでした。


昨日は、株式会社新規開拓、代表取締役社長牧野紀子と、そして、毎日ブログを更新してくださっている小林信一郎さん、べっくさんと一緒に、このお話を聞きたいと思って、『パラオの星』聞かせていただきましたが、会場には、清水友浩先生、広橋千枝乃さん、五十嵐ひろこさん、飛沢尚子さんはじめ、TSL塾生、おとな美サロンの方々もいらっしゃいました。

一緒の空間で、お話が聞けたこと、本当にありがたいなと思いました。
心より、お礼申し上げます。

一緒に話が聞けること、同じ空間でお話を聞けたこと、いや、本当にありがたいなと思いました。

実は、昨日私にとって、特別な記念日でした。

それは、Voicy配信を始めてから、ちょうど丸4年という節目の日でした。

このことを知ってくださっていたべっくさんは、なんと、Voicyのロゴ入りTシャツを着て、参加してくださっていました。

先ほどもお話しさせていただきましたが、私は、他に考えることがあって、うっかり忘れてまして、本当に失礼なことをしてしまったなと思います。

それにしても、同じ空間で素晴らしいお話を聞けたことは、私にとって一生忘れることのできない大切な時間共有でした。

今日というこの日を大切に思い、足を運んでくださっている数多くの方々が、本当に、ピンと張り詰めた空気の中で、桂春蝶師匠のお話を一生懸命聞いてくださっておりました。

私は思わずその空間全体に、そっと祈りを込めることができました。

久しぶりに会場で出会えた方、桂春蝶師匠のご縁をつなげてくださった鶴岡秀子さんとも、お会いすることができました。

偶然とは思えない再会、まさに導かれたような時間だったと、実は今も感じているんです。会場にお集まりいただいた方々が、ものすごく暖かかったんですね。


昨日は、パラオ共和国のお話もしてくださいました。

皆さんは、パラオの国旗をご存知ですか。
青地に、少し左寄りに浮かぶ、黄色い丸。

この黄色い丸、どういう意味があるかというと、青はパラオの美しい海、そして広大な太平洋。黄色い丸は、満月を表しているそうです。
満月は、まさに平和、自然の巡りを象徴しております。

今回は、日本との深い繋がりに対して、桂春蝶師匠もお話をしてくださいました。

リスナーの皆さん、パラオは、大正3年から昭和20年まで、約31年間、日本の統治下にあったという歴史があるのですが、そのことはご存知でしたか。

私はこの事実を、昨日まで知りませんでした。昨日、あの場所で初めて知りました。

知らなかったで終わらせてはいけない。知らないことは、知るための努力をする。
そして、学び続け、語れるように、自分自身もさらに学びを深めていきたいなと、改めて強く思いました。


昨日、桂春蝶師匠のお話をお聞きしながら、いろんなことを感じました。
日本人としての誇り、勤勉さ、素直さ、そして謙虚さ。
私は、本当に、日本人を表す一番の美しい言葉ではないかなと思ったんですね。

私の亡き父がいつも言ってました。

「千恵子、日本はお返し文化屋、奥ゆかし文化屋で」って。

その中で、昨日、桂春蝶師匠がお話してくださったのが、勤勉さ、素直さ、謙虚さ、この3つ。

これが、まさに日本の一番の美徳、そして日本の人が持っていらっしゃる素晴らしいものではないかなと、私は思ったんですね。

桂春蝶師匠の落語は、やっぱり素晴らしいなと思いました。

桂春蝶師匠は、昭和50年生まれです。井上敬一先生と同い年ですね。

最後に、最後に語ってくださったタイミングに、「天皇陛下が大好きです」と、まっすぐな目で語ってくださいましたが、桂春蝶師匠が、日本を、文化を、そして命の繋がりを語ってくださること、やっぱり大事なことだな、忘れてはならない。

戦争は、また特攻も、美化してはならないですが、風化させてはならないということも、改めて心の中でしっかり感じることができました。

私たちは、何のために生きるのか。なぜ、命を懸けてまで守ろうとした人たちがいたのか。それを、今一度心で感じ、言葉にしていくこと。
これが、未来の子どもたちに手渡していける本当の意味での財産ではないだろうか。

知ること、感じること、そして、伝えること、そのすべてが命をつなぐことだと、私は昨日、桂春蝶師匠のお話をお聞きしながら感じました。

戦後80年、私たちは今、大きな節目に立っています。
ぜひ、皆さん、桂春蝶師匠の落語を、これからも皆様に聞いていただきたいと思います。

教科書では学べない、心が震える歴史が、桂春蝶師匠の言葉から伝わってきました。そして、ぜひ大切な人と一緒に、桂春蝶師匠の話を聞いてもらいたいなと思いました。

Voicy配信4周年の記念日に、桂春蝶師匠のお話が聞けて、私は本当にありがたいなと思いました。
これも、一つの導きだったのではないかなと思えてなりません。
昭和でいうと、今年は昭和100年、戦後80年、記念作品、『パラオの星』。
「あなた方を、守りたかった。私たちは、忘れない。」

桂春蝶師匠、素晴らしいお話をお聞かせくださり、ありがとうございます。


パンフレットの中には、こんなフレーズがありました。

「桂春蝶師匠の、落語で伝えたい思い、第11作、パラオの星公園に、お越しいただき、誠にありがとうございます。

戦後80年、戦争をリアルに語れる方が、私たちの周りからいなくなりつつあります。

過去、私が取材をさせていただいた戦争体験者の皆さんも、亡くなったり、話せる状態ではなくなったり、ここ10年で状況は大きく様変わりしました。

誰もが自分の思想と、自分の視野でのみ、戦争を語る時代になってしまった。
そのことに、憂いを抱くのは、私だけではないはずです。」

まだ、その他にメッセージは続きますが。

私も、とてもお世話になった、掛川のある印刷会社の社長様が、まさにこのパラオでの戦争を体験され「朝倉さんと一緒にグアムとパラオに行きたい」という話をしてくださってまして。

その当時、ご自身が体験したことを手記に残したものを、パラオのどこかにお渡しをした、という話を過去に聞いたことがあります。

私は、絶対にパラオには行ってみたいなと、心から思いました。

忘れてはならない大事なこと、絶対に、絶対に見て見ぬふりをしてはならないこと。そんなことを昨日改めて感じさせていただき、限られた自分の命を、大事に、大事に、大事にしようと心から思いました。


桂春蝶師匠から受け取らせていただいた確信の言葉、「無知は罪」。

パラオの歴史や戦争への深い気づき、そしてVoicy配信4周年を大切な方々と迎えられた奇跡の時間。

ありがたいことだな、そしてやっぱり忘れてはならない大事なことがあるな、ということも改めて感じさせていただきました。

昨日は、約15年ぶりぐらいに、等々力駅に降りることができました。いや、もしかしたら17年ぶりぐらいかも分かりません。

昔、お世話になりました藤木相元先生が等々力に住んでいらっしゃって、等々力の藤木相元先生のご自宅に何回も訪ねたことがあります。

駅、降りながら、「ああ、この駅、変わってないな」と思いながら、懐かしく思いました。

等々力駅、いや、やっぱりその駅に降りると、忘れられないいろんな思い出が頭の中に浮かびますよね。
藤木相元先生のことも思い出させていただきました。

藤木相元先生は、鹿児島、知覧から特攻され、3回の特攻を経験されております。
それでも、命を助けられ、そしてひめゆり部隊の方々の遺骨を収集し、韓国人の方々の慰霊碑を沖縄に作ってくださり、さまざまなことを昨日は思い出させていただきました。

やっぱり、忘れてはならない大事なことがあるなと思います。
先人が、何を私たちに託したくて、大切な命を捧げたのか。

そこも含めて、やっぱり忘れてはならない歴史も勉強しなきゃいけないなと、改めて私は心に誓いました。


毎日Voicyで配信をし続けてくださっている清水友浩先生。

私は、カイロプラクティックを清水友浩先生から受けておりますが、先生は毎回毎回、Voicyで私のこと、そして8月25日、井上舞さんが主催する講演会のこと、私の41冊目の書籍のこと、トップセールスレディ育成塾のこと、いっぱい語ってくださり、応援してくださっております。

まさか昨日、会場で清水友浩先生とお会いできるとは思わなかったんですが、嬉しかったですね。

そして、清水友浩先生からも素敵なメッセージが届きました。
「千重子先生、こちらこそ『パラオの星』お誘いありがとうございました。

あんなにたくさんの方が来られているなんて、想像以上の関心の高さに驚きました。
また、桂春蝶師匠の作り出す世界観も、時間を忘れてのめり込みました。
たくさん学ばせてもらいましたこと、感謝しております。

パラオも、成田から直行便で行けるということで、慰霊や現地の海に行ける日を楽しみにしております。」

私も、パラオは絶対に行くと心に誓っています。
清水友浩先生と一緒に行けたらいいなと思います。

忘れてはならない大事なこと、もう本当に、昨日、桂春蝶師匠のお話の中で、いろんなことを感じました。

命の尊さ、先人が私たちに何を伝えたくて、何を私たちに託したかったのか、忘れてはならない。

改めて、そう思います。




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