「ルール40、もっと親孝行をする」 立場の違う人に対する振る舞いから、その人の人間性が見える と言う話をしました。その最たるものが 親に対する接し方 です。親に対してどのように接してるかを見れば、その人のすべてがわかると言っても過言ではありません。 周囲の人にはいつもニコニコと「はい!わかりました」と感じよく振る舞っていても、両親に対しては「ちょっと黙っててよ!}「余計なこと言わないでよ!」と、強い言葉をかける人は少なくありません。 その人の本質は、キツイ顔をして「余計なこと言わないでよ」と言ってるほうの姿です。 親とは、その人のすべてを受け入れ、すべてを許し、すべての愛を注いでくれている存在です。わかりやすく言えば、自分を最も甘やかしてくれる人たちです。 ないがしろにしても、きつい言葉をかけても、笑って許してくれるかもしれません。その優しさに甘えれば甘えるほど、私たちの心はどんどん横柄になっていきます。親に対して冷たい人は、結局その他の人に対してもどこか冷たい接し方をしてしまっています。 人生の大先輩からはこんな大切な言葉も授かりました。 「親も大事にできない人がどうやって他人を大事にできるのか。親孝行にし過ぎはない、それは利他の心の最初の一歩。利己を剥がすと、利他になる。優しい愛の心が出てくる。親孝行しなさい。親も大事にできないで誰を大事にする?」 親孝行とは、一般的に、親のためにするものだと考えられています。 もちろんこれまでの感謝の気持ちをカタチに表すと言う意味は大いにあります。しかし親が皆「ここまで育ててやったんだから、親孝行すべきだ」と願っているわけではありません。 むしろ、私たちのことはいいから、元気で幸せに暮らしてほしいと。ただ願っているだけの人の方が大半かもしれません。だからこそ、甘えてしまうのです。 親の愛に甘えたままでは、人を大切にする気持ちは育まれません。私は、親孝行することで、なによりも自分自身の心が磨かれていくのだと考えています。 親孝行しなさいと強く語るには理由があります。それは、私が後悔してるからです。母も父も亡くなった今、浮かんでくるのは「もっとできることがあったのではないか」という悔しい思いばかりです。 仕事ばかりでめったに会いに行けない私を、父も母も少しも責めませんでした。唯一私を使叱ってくれたのは弟の妻、私の義理の妹でした。
あまり マイナスの話はしたくない私ではありますが、これはどうしてもシェアしておきたいなと思う事柄がありました。Voicyリスナーの皆様にお伝えさせてください。 10時30分ラストオーダーのお寿司屋さんに入った時のことです。 時間は10時10分、夜の10時10分。 そのタイミングに、ほんの少しだけビールを飲んでおつまみを頼んで、そして少しだけお寿司食べたいなと思って入りました。 「ラストオーダー10時半ですがよろしいですか?」 「はい、大丈夫です」 カウンター席に座らせていただきました。そしてビールを1本頼んで、おつまみを取って、そしてお寿司を食べて、気持ちよく最後の1日を振り返りながら非常に一人時間を堪能してたタイミング。 そのタイミング、私はカウンター席にいたということもありまして、厨房の中にいらっしゃる板さんが片付けを始めました。ボックス席にはまだまだたくさんお客様がいらっしゃいました。そしてまた次から次へと海外のお客様が入って来られます。その度にお断りをされていました。 そんな中、板さんが片付けるお姿があまりにも衝撃的だったんです。本当にショーケースの中にあるネタを、きっとそのネタは明日のお寿司に使うネタです。そのお寿司のネタをバットの中にバサ!バサ!バサ!と、まるで物を捨てるようにバットの中に入れ、そして音をガチャガチャと鳴らしながら片付けをするその様。 その時私は最後の締めの巻物を食べてました。冷茶お願いしたところ「有料ですがいいですか?」って言われたので「はい、結構です」ということで、有料で冷茶を頼んで、そして最後の締めの巻物を食べてる時、食べ終わった後にその方が 「今度はゆっくり来てくださいね」 とおっしゃいました。 私はその時、食べ終わった後に一言だけ、本来言うべきことではなかったのかもしれませんが、どうしても気になったがゆえに、そこの胸元にあった名札を見ながら 「〇〇さん、最後の片付けがあまりにも乱暴でびっくりしました。〇〇社長、悲しまれます」って言って、そして席を立ち、21年間通っていたお店っていうこともあって、レジには昔馴染みのお姉さんがいらっしゃったがゆえに 「最後の後片付けがあまりにも乱暴すぎて残念でした」 ていうことは、言葉に出させていただきました。 その店ができる前から知っていて、その店ができてからも社員と共に何回も行き、たくさんのエピ