私のブログの記事を読ませていただきます。
きっVoicyリスナーの皆様は、この話は以前にもボイシーで聞いたな?と思ってくださるかもわかりません。改めて私の声でブログを読ませてください。
こんにちは、朝倉千恵子です。
今は東京に向かう新幹線の中です。移動書斎は集中できる私の勉強場です。移り変わる外の景色を見ながら、ふと昔でやった中小企業の経営者の事を思い出しました。
以前の会社時代に出会った中小企業の社長の話です。
私が過去に書いた書籍の中にも登場する人物です。
面談するたび「家みたいな会社はね、優秀な人材がいないんだよ。優秀な人材は全て大手企業に取られる!大手に入れなかった人たちが集まる」と面談のたび、愚痴ばっかり言っていました。
当時35歳だった私は、生意気にも「社長!社員の悪口は言わないでください!天に唾を吐いたら自分にかかるように、社員を人を悪く言って良いことはひとつもありません。会社の器は、社長の器が決めます。優秀な人材を採用したかったら、社長ご自身が不平不満を言わず、自分を磨いてください。社長の魅力に人がついていきます。自分が魅力がないのに良い人材が欲しいというのは虫のいいお話です。」
などと、今振り返ればずいぶん生意気な発言をしたなーと思います。
当時その会社の社員の方で、私と同世代の課長がいました。
しばらくして彼は部長に昇進、その後ガンになったということを聞きしました。昨年彼はお亡くなりになったっていうことを、当時の事務の方からお聞きしました。
そこでもう一つの事実を私は知ることになりました。
社長は彼が闘病生活をしている間も、また会社に出られなくなり、数年経ってもずっと給料を支払いになっていたこと。お亡くなりになる最後の最後まで面倒を見られたこと。私はその事実をお聞きし、胸が詰まりました。
社員の愚痴は言うなと言った私に、その社長は「随分はっきり言うね!」と仰り、苦笑いしていらっしゃいました。
私は、最近様々な身近で起こる現象を見ながら、自分の過去のモノの見方・考え方を振り返ります。最後まで手を離さないのは、その社長であり、社員を愚痴っているのは、愛情の裏返しと思うようにいかない。もっとよくなってほしいと思う歯痒さの表現であったことを気づきました。
闘病生活の間も、その後も給料保障と家族の保障していた社長。人一倍愚痴が多く、いつも嘆いてばっかりいた中小企業の社長。私は真価が問われる瞬間は、やはり言葉ではないと実感しました。
営業でトップセールスを目指しているという私の言葉に、「朝倉さんは頼もしいね!言ったことは必ずやるね。うちにも朝倉さんのような社員がいたらなぁ、頑張ってね!」と励ましてくださった社長。創業30年を超えてる企業、私自身も随分が励まされ応援して頂きました。
出会いから11年、やっぱり立派な経営者であると思います。
会社を存続させている事実。
今も継続し仕事をし、信頼信用を得ている事実。
愚痴や不満はたいしたことではなかった。
発散の一角に過ぎない。
愚痴も不平不満も言っていい、それは心の筋肉を鍛えるための手段。
いしかそれを超え、強く強くなっていく。
ふと思い出した出来事でした。
長い人生の中で様々な縁を頂き、失いたくない大切な出会いがあります。
情で判断し、法で処置をするのではなく、法で判断し、情で処置をする。
その典型的な姿、日常ではわからないかもしれない。いや長年そばで見ている社員は、その社長のことを一番よく分かってるのかもしれない。
見方を変えると、えこひいき!しかし有無を言わせないのは、その社長の人望!弊社副社長がボソッと言った。その社長に今日電話をかけてみようと思った。
まもなく東京に着きます。いつもブログをお読みいただきありがとうございました。
このブログを書かせて頂いたのは、2008年9月30日、今から13年前です。
その企業はもう創業して43年。43年経営者として頑張ってこられてる社長って、やっぱりすごいなと思います。昨日は「大和の会」西田文郎先生にお会いするため、静岡まで行って参りました。素敵な同志の方々がお集まり頂き、とっても濃い時間、濃厚な時間を過ごさせていただきました。
ヤマトの会での学び、西田文郎先生のお話を通しての学びは、改めてお話ができればなと思います。
なぜ今日、このブログをあえて私の声で再び読ませて頂いたのか、実は静岡から帰る新幹線の中で、この経営トップの訃報を知りました、驚きました。
74歳のお年でお亡くなりになられました。何が原因でお亡くなりならたのかはわかりません。その訃報が届いたっていうことを、総務の人材から私宛のメッセージが届き、その訃報に際し何とも言えない思いになりました。
涙ってこんなに出るのかなっていうぐらい、静岡から東京に向かう新幹線の中で、ほんとに溢れる涙を抑えることもできず、こだまで静岡から東京に向かい、新幹線車両の中には私の前には誰にもいない。私の後ろにお一人いらっしゃいましたが、まさに私のためにその新幹線の車両は用意されたのかなと思うぐらい、本当に涙がずっと出ました。
涙ってこんなに出るんだと、両親が亡くなった時以上に涙が出ました。
それはなぜか。
ものすごくお世話になりました。
35歳の時、丁度12月だったと思うんです。
私は帝国データバンクの「あ行」からの電話かけではなく「わ行、ら行」から電話をかけておりました。その企業も「ら行」から始まる企業名でした。
先輩も、そして新しく入ってきた人材は、テレアポをする際、必ず五十音順のあ行の名前の会社からかけます。私は手垢が付いていない、その名簿の一番後ろのページから電話をかけ始めました。
だから私の企業様は「わ行」からまた「ら行」からの企業様が多いんです。
本当にお世話になりました。
めちゃくちゃお世話になりました。
だからこそ記録と記憶に残したいなと、記録と記憶に残したいなと思って、今日は敢えてこのVoicyにてお話をさせて下さい。
Voicyリスナーの皆様、人間はいつどこで何が起こるかわかりません。
だからこそ、今を精一杯全力投球で生き抜く!
そこを是非今日は強調したいなと思いました。
私も明日何が起こるかわからない、だからこそ1分1秒を大事にしていきたいなと思います。
この後は、頂いたコメントを読ませていただきます。
どうぞ最後までお付き合いくださいませ、ありがとうございました。
そして、24年前にご縁を頂いた、その経営トップからたくさんのことを教わりました。
社長、ありがとうございました。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。