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我慢に代わる私の選択肢 2021年12月11日

 




今回のVoicyハッシュタグ企画を通し、改めて自分自身の昔々を振り返ってみました。

もうかなり昔々になりますね!

ちょうど私たちが思春期そうですね。

もう14歳もうちょっと早かったでしょうかね。

テレビコマーシャルで、生理用品が堂々と出るようになった頃、なかなかあのそういう場面っていうのが、非常に女性自身が、例えば自分自身が月に1回の生理になった時も「それを男性に悟られてはならない」とかっていうことを実は母から教わってましたので、なかなかそういうことを、見せるって言うよりは「隠す」「恥ずかしい」っていう風な感じで、自分が生理であったとしても、それをなかなか人には見せたくないとかっていう風な感じで、ひたすら隠してた時代でした。

クラブ活動、そして体育の日含めて、やはり痛みがあったとしても、それを「ぐっ」と我慢して、絶対に気づかれないように言っていう風な、そういう意識、価値観だったのかなと思います。

またスポーツ会、体育会系だったので、クラブ活動するにおいても、やはりまったくそういう生理休暇とかそういったものは、もう特に、絶対にないですし、バレーボール部ですから、回転レシーブをしたりとか、まあいろんな過酷な事やってましたね。

中学・高校・大学、そしてママさんバレー含め、ずっと体育会系でいきましたから、ある意味痛みに関して、痛いとかそういう表情をすることすら、美徳にされていなかったっていうような時代だったのかもしれません。

特に、私は母がある意味こう「女性が痛いとかそういったものは、出さないように!」みたいな感じで、決して母もそういった痛みっていうのを見せなかったということもありまして、ある意味、それが昔のしつけのような部分もあったのかもしれません。

従って、非常に痛みには強くなったなっていうのありますね。


子供を2人出産した時も、最初の子供の時は、旦那様の立会いっていうことも基本的にはなく、第2子のときに、初めてラマーズ法っていうのがありまして「ふふふははは」っていう呼吸を合わせながらっていうことで、非常に行こう勇気がいりました。

ある意味、お産に立ち会ってもらうっていうことは、当時は本当に珍しかったっていうこともありまして、とはいえ出産というのがどれだけスゴいことなのかっていうことを、あえて旦那様にも理解してもらった方がいいというような、そういう教育、そういう風土がようやく出始めたっていうタイミングがありまして、元旦那様にお産に立ち会ってもらったっていう、そういう第2子の時はそうでしたね。

もう御産て本当にすごく、もー想像絶するぐらい痛いんです。

「鼻からスイカが出るぐらい」とかっていう話もありましたけど、それも本当に病気ではないがゆえに、出産した後はあまりにも子供が愛おしくって、その痛みすらも忘れるって言うような状況でした。


32歳の時に離婚し、そして自分一人で生きる道を選択せざるを得なかった。

その後、無理をしすぎて肺炎になってしまって、もう両肺が真っ白の状態で病院にも行かず、「まーもうちょっと遅れたら手遅れだ」って言った時も、やっぱり我慢してましたね。

今思うと加減がわからなかったんですね。

どこまでやれば自分の MAX なのか?っていうことが、全くよくわからない。

そんな中、無理はできても本来無茶はしてはならないんですが、その無理・無茶の加減が全く分からなくって、入院するまで無理をしてたっていうのが、私の馬鹿さ加減です。


これ一回目の入院が肺炎、そしてその次の入院は、39歳の時に以前の会社を独立し、個人事業主になり、その時も相当無理しました。

そして無理をして腹膜炎になって、3週間入院したんですが、その時も自分の無理の MAXっていうことがよくわかっていませんでしたね。これがパート2の馬鹿さ加減です。


そして3回目が2007年。

8月に800人イベン(「夢」『感動ビジネス成功の秘訣』2007)を行いまして、その時、高野登さん、そして和田裕美さん、和仁達也さん私の4名で「夢を語る会」のメンバーでイベントをやろうということで、株式会社新開拓で企画をし800名の方々にミッドタウンに集まっていただいて、そこで大きなイベントしました。

その時も、相当ちょっとお腹が張って「なんか調子悪いな?」と思ってたんですが、まあある意味40ちょうどその時は45歳ぐらいでしたかね。

「まあ45になると、こんな感じなのかな?」と思ってちょっと我慢してて、病院に行ったらやっぱり即入院と言われたんですが、当時は月に37回研修行ってましたから、変わりがない。

そんな中、本当に岩手県の宮古に片道6時間、そして90分公演、また6時間かけて戻ってくるっていう。エピソードもまあ過去のブログを見れば、そういう時もあったなと思います。その時は入院しなかったんです。

聖路加病院の先生がですね、すごい先生で「入院がもしできないんであれば、僕の携帯電話の番号を教えます」って言って。そして「何かあったら、どこの病院でもいいですから、そこの病院に駆け込んで下さい」と。

そして「自分が主治医として指示をします」って言って下さったんですね。

もうその先生は神様のように感じました。

「聖路加病院、凄いなあ!」と思いました。

その先生が、ある意味携帯電話の番号を教えてくださったことで、お守りとして「その番号に、何かあったら連絡を入れよう」っていう形で。

その時も、入院はしませんでしたね。

とはいえ、そこからは少し療養をさせて頂いてっていうこともありました。


その次にも色々あるんですが、今考えてみると本当に「我慢・辛抱・無理・忍耐」と。

加減が全くわからない、本当にもとことんやって、倒れるまで行くみたいな。

もう本当に今思えば、まあなんと自分の体を酷使てたのかなと思います。

そんな私なんですが、社員が例えば熱が出たとか、お腹が痛いとか、胃が痛いとかって言うと「すぐ病院に行け!」と。

そして「できれば2箇所ぐらいは、行った方がいいよ。とかって言って!

自分のことはですね!!

まあ本当にほったらかしにしてたところありましたが、社員に関しては、やっぱり非常に慎重でした。

自分の肉体のことは、自分の自己管理ですから。

誰の責任にもならないということも含め、肋骨にひびが入ったり、小指が折れたりとか、そういう時もありましたけども、結果的に仕事に穴を開けたことは一度もないっていうことと、あとは小学校3年生からずっと皆勤賞でしたから。

まー!結局は休んでないわけですよね!


昨年から今年にかけて、コロナ禍においてじゃあゆっくり休んだかって言うと、やっぱり休んでませんでした。

いつ休むんですか?

「あの世に行ったら休みます!」なんて言ってるわけですから!

私はやっぱりこのテーマ「なかなか参考にならないな!」っていうことを改めて思いました!。


ですが、今は本当にこれから先、自分の健康管理も、責任を持って自分でやらなきゃいけないっていうことも含めてね!。

多少の無理はしてもいいですけど、無茶は絶対にしない方がいいって言うのを、私は2回の入院と、3回目また入院しろって言われたこともあって、そんなアホさ加減!馬鹿なことは絶対にしてはならない!というのが教訓です。

今は100歳人生を目指すにあたって「88歳ハイヒール人生」を歩もうと思ってますから、「健康学び」この三つ!

健康学びにとことん意識をしながら、若々しくありたいなと思います。

何の参考にもならないかもわかりませんが、改めて過去を思い出して、「まあいっぱい無理してきたなー」と「たくさん無茶もしてきたな」と思います。

我慢・辛抱・無理・忍耐!

これは美徳ではないかもわかりませんが「若い時の苦労は買ってでもしろ」っていうことも含め、二十代・三十代・いえ十代も相当やっぱり無理しましたね。

そこも含めて、今日の私があるのかなと思った時に、

もう一人の私が見た時に、

もう一人の私が「よく頑張ったね」っと、

もしかしたら、褒めてくれるかもしれません。


ここからはそうはいきません!

来年60歳ですから、本当にもうやっぱり自分の健康状況、そして足腰。

今から鍛えていかないと、88歳ハイヒール人生を全うしようというのは、ちょっと難しいかもわかりません。

そこも含めて、今ストレッチ、そして自分自身もまあぶら下がり健康器「誰にもぶら下がれない」ということも含めて、ぶら下がり健康器にぶら下がりながら、健康管理、そしてストレッチ運動やっていきたいなと思います。

決意表明です!

ここからの自分自身の健康管理含め、これから先さらに力を入れていきたいなと思ってます。

Voicyリスナーの皆様と一緒に、健康管理ができればと思います。

はい!

何のお役に立てないかもわかりませんが、過去を振り返り、語らせて頂きました。


以上

朝倉千恵子でした!


「我慢に代わる私の選択肢」改めて語らせていただいて思うことは、我慢・辛抱・無理・忍耐とは言いましたが、振り返ってみたらずっと耐え忍ぶ人生ではなくて、常にチャレンジしてきたなと思います。

今日初めて、私のVoicyをお聴き下さるリスナーの方もいらっしゃるかもわかりません。

そんな中、少しだけダイジェスト版でお話をするとしたら。


  • 23歳で結婚し

  • 24歳・26歳で子供を産み

  • 32歳で9年間の結婚生活にピリオドを打ち

  • そこから生活力を身につけるために、株の業界に入って焦って空回りして大きな失敗をし、最終的な4000万円の借金を作ってしまって

  • 35歳人生の大ピンチのタイミング、そこから営業の世界に身を置いて、本当に人生が大きく好転しました。

  • 39歳で独立をし


今日お話しさせていただいたように、

  • 肺炎になったり

  • 腹膜炎になったり

色々ありましたが、

だけどチャレンジはずっとしてたなと思うんですね。

今思い出してもやっぱり「何もしないで、私の人生って何だったんだろう?」ではなくて、あれもやった!

これもやった!

まあ数多く失敗しました!

恥ずかしいこと

みっともないこと

いやいやちょっと人には言いたくないこと

たくさんがありましたが、それでも諦めないで常に前を向いてチャレンジしたなと思います。

何回も何回も壁にもぶつかりましたし、ドブにもはまりましたし、それでもまた引き返して「なりたい自分」「ありたい姿」を目指して全力投球で邁進したからこそ今がある。

39歳で独立をした後、40歳で一冊目の本を書きました。

不思議と説得力なるセールストークの秘密

この本が女性達がまだ誰もビジネス書、そして営業本を出していなかったって言うタイミングあって、一冊目の本が売れたっていうこともありまして、そのおかげで私が働く女性を応援したいと思って「トップセールスレディー育成塾」を開講することになったんですが、

人生大逆転!の極意「私」が体当たりでつかんだ 人生大逆転の極意っていう本を、講談社様でちょうど43歳の時に出したと思うんですね。

そこから16年!

またすごいことが起こりました。

考えてみると、何もしなければ何も変わらない。

だけど、その時「しんどいなあ」「苦しいな」「辛いな」っていう渦中は語りませんでした。

一生懸命頑張って行くと、必ず後から結果はついてくる!

だから、若い時は体力もあるし、出来ることは全部やってきたなと思います。

その結果、二十代、三十代の頑張り、「辛いこと」「苦しいこと」「しんどいこと」色々あるかもわかりませんが、人と同じことをしていて、同じ結果が出るとは限らないですよね。


だからやっぱり、自分は自分の事を信じ、自分を信じると書いて「自信」と書きますが、

  • 自分は出来ると信じてあきらめないでやり続けること

  • 比べるのは人ではなく、昨日の自分

  • 昨日よりも今日、今日よりも明日、ほんのちょっとでいいですから、成長してる自分がそこにいればいい

  • 選択するのは自分

  • そして「過去の決断」「選択の結果」人生が成り立ってるんだっていうこと


振り返ってみた時、

1997年、初めて営業の世界に身を置いた、35歳の時から全ての手帳は持ってます。

その手帳の中に目標を書いたり、なりたい自分像、夢を書いたり、それが後になって全部叶ってるよっていうことは、全て努力の結果ではないかなと思うんですね。

結婚、出産、離婚、借金、そして自立、独立、今日に至る。

この24年間の35歳から24年間の歴史を振り返ってみたとしても、沢山語ることはあります。

お金はどうにかなりました。

4000万円の借金も返済できました。

だけど、失ってしまった時間だけは取り返すことはできません。

だからこそ、悔いのない人生を左手もらいたいなと思います。

1日は一生の縮図

今日いい加減に過ごして、未来が豊かになることはありえない。

ここだけはお伝えできればなと思います。


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