現状維持は衰退の始まり
建設は一生を破壊は一瞬
何もしなければ何も変わらない
チャレンジこそ人生
上半期を振り返りました。
1月は、まさに私自身が60歳の誕生日を迎える。
暦がゼロに戻る日
いや〜まさか自分が還暦を迎えるなんていうことは、夢にも思わなかったですね。
ですが、数年前の自分と今の自分を比較した時、もしかしたら今の方が少し若くなってるんではないかなということを感じるんですね。
4年前の写真よりも、きっと今の方が私は若いのではないかなと思ってます。それはおそらく、自分自身の脳が活性化されたからではないかなと思うんですね。
1番の原因は、2020年のコロナ禍において、会社が「こりゃ大変だ!」と思う瞬間があった時、振り返ってみた時、2004年6月1日に株式会社新規開拓を設立しましたが、それまで18年の歴史の中で、赤字を出したことは一度もありませんでした。
ですが、2020年は本当にきつかったです。
少し前に、Voicyリスナーである方から「2020年の時、どのように乗り越えたのか?っていうことを教えてください!」ってお話がありましたが、全てお伝えすることはできませんが、今頃になって
「あの時なぜその判断をされたんですか?」
「なぜそれだけ判断が早かったんですか?」
って言われることが実はあります。
それは大好きな丸ビルを撤退することを決めたことです。
10年10ヶ月お世話になった東京駅前丸ビル。
本当に丸ビルで仕事をすることが、言葉を選ばず正直に申し上げると、やはり「ステータス」でもありました。
私は2003年9月27日に女性限定の営業塾「トップセールスレディ育成塾」を開校したくって、その年に起業しました。2003年2月にイギリスのレンタルオフィス・リージャスさんで、その物件を見てもう「何が何でも入りたい!」と思って、
1月29日に物件を見た後、
30日悩み、
31日に契約をし、
2月1日から帝国ホテルタワー15階で仕事をさせて頂きました。
社員もスタッフも誰もいません。当時は15万円しか報酬ももらってない中、3坪70万円の家賃を払うことを誓い
あの時の、あの決断があったからこそ、今があるんだなー!
ということを感じます。
もう寝ても覚めても!
何があっても!
この場所で女性限定の営業塾をしたい!」
その時の強い思いが、結果的に今を迎えてるんだなーっていうことを感じております。
2004年6月1日株式会社新規開拓を設立し、帝国ホテルでは7年間、そして丸ビルで10年10ヶ月お世話になりました。コロナによって、お客様を丸ビルにお迎えすることも出来ない。
同時開催していた「トップセールステレで育成塾」リアル版は148期生が受講中でした。
最終回をいよいよあと1回って言うタイミングに完全自粛期間。
丸ビルに行くことも出来ない
ある意味、外に出ることも出来ない
17年間全くパソコン触ってなかった私が、毎日パソコンの前でどれだけの Zoom ミーティングを行い、どれだけ”one on one”、そして個別コンサル、グループコンサルを行ったか。きっと世界中の誰よりも zoom でお仕事をさせて頂いたんではないか、面談をさせていただいたんではないか、zoomで講演会を、YouTube Live、Facebook Live を開催出来たんではないかなっていうことを、今振り返って思います。
5月1日にお客様からオンラインでの講演会の依頼がありました。
丸ビル研修会場にてオンラインで、当時100名を超える方々のオンライン講演会だったんですが、その時丸ビルを訪問した時、正直びっくりしました。
ランチタイムはいつも賑わっていて、本当に数多くのお客様が列を成し、ランチタイムの順番を待つような状況から一転しまして、お客様の数は1/300になってました。
これはオーバーではないです。
何度も使わせて頂いたお店の店長ともお話をしてるなか「本当に大変なんです...」っていう声が何度も聞こえてきました。
「このままいくと本当に大変だろうな〜」
「心配だな〜」っていうこともありますが、
じゃー自社はどうなのか?って言った時に、丸ビルにお客様を呼ぶことも出来ない、ですが
家賃は待ったなし!
これは当たり前ですよね。
そんな中、丸ビルは日本で1番土地単価が高い場所となったタイミングで、
1坪いくらだったと思いますがか?
土地単価は1坪1億円!
銀座の鳩居堂を超えて、一気に丸ビルが日本で一番いい場所として新聞にも出てました。
そんな中、その丸ビルを撤退するっていうことを決めた時には、
正直勇気がいりました。
撤退を決めたのは5月の7日でした。
5月1日に現場を見て「このままではいけない!」そして「即決断をしなくてはならない!」
その時の判断、決断は、他に誰にも相談することなく自分で決めました。
最終的な大事な決断は、自分で行うこと!
責任を取るのは自分しかない!
そこで多数決が出来るような状況ではない。
どんなことがあってもこの場所で、そして塾生達をお招きしたい。
社員に背筋をピンと伸ばし、おしゃれをして通えるような空間で、仕事をしてもらいたい。
私は月に30回、多い時には40回、年間300回研修を担当しておりましたので、丸ビルに居るタイミングはほとんど10年10か月の中、ほとんどなかったですね。月に10日間丸ビルに行くか行かないか。ほとんど、行ったとしても、そこでのんびり時間を過ごす事っていうのは、正直全くありませんでした。
それでもその場所が、その空間が大好きでした。
今も好きです。
ですが「その時にその決断を」「その時その判断をしなければならない!」っていう瞬間ってあるんです。
以前からずっと考えてました。
きっとテレワークが当たり前になると、駅近の物件は不要になる。仕事が出来る人は、場所がどこであっても仕事が出来る。会社に来てるから、生産性が上がるとは限らない。ですが、自己管理が一番難しい。
2年間テレワークによって、いろんな意味で差がついたんではないでしょうか。
私は常々社員に言ってました。
「どんな状況になっても、生き延びる、生き抜く力を身につけてほしい!」
「全員営業・全員講師の会社」
「どこに行っても通用する」
「あなたから買いたいと言われる自分となれ」
業務委託に仮になったとした時に「自分は会社にいくらの顧問料を請求しますか?」っていう、そんな問いかけもしてみてください。
自分の上司は自分!部下に自分がいたら嬉しいかどうか?
それも日常の中で、自分に常に問いかけるメッセージを発信してもらいたい、そんなことも言ってました。
この6ヶ月間上半期を振り返った時、やはり私自身も3月26日からオンライン版TSL 6期のスタートのタイミング
一粒万倍日
天赦日
寅の日
そのタイミングから感謝日記にプラスアルファ、今日の一言を書き始めました。
何か新しいことにチャレンジするには最も良い日。
それを活用し、紙に自分自身の感情残す。
そして今日1日を振り返り、どんな一日だったのか?
どんな気づき学びがあったのか?
っていうことを
今日1日の振り返りとして、感謝日記と共に今日の一言を綴っております。
過去を振り返る時、この感謝日記と今日の一言を読んでみると、自分自身がその日どんな気づきがあったのかっていうことが、きちっと蘇ってきます。
心の記録をいかに紙に残すのか
その時に感じた自分自身の正直な思い
それを紙に綴る事によって、ルーキー手帳に書き出すことによって、あとで振り返ってみた時に「あ〜私はあの時こういう感情だったんだ」「こんな風に感謝をしてたんだ」っていうことがよくわかります。
上半期の振り返りと言っても、全体でどういう風に自分が進化成長するために、努力したのかっていうことだけが頭に浮かびます。
書籍もこの期間は、これまでよりはたくさん読みました。
そして今回、崔燎平先生の暦の秘密の本を読ませて頂き、いよいよ崔燎平先生とお会いすることも出来ます。
キングコングの西野亮廣さんにもお会い出来る機会を頂きます。
これからますます楽しみが増えました。
以上です。