本日のVoicyでは、昨日のコメントの中でKM先生から「慰めと寄り添いの違い」についての質問がありました。 これ、いいテーマだなぁと思いましたので、改めて私の声でお話をさせていただきます。 あくまでもこれは私の考えですから、これが正しいとか、こうあらねばならないとか、こういう考えを持たなくてはならない、ということはちょっと横に置いていただいて、一つのものの見方、考え方として捉えていただけるとありがたいです。 結論から申し上げますと、「慰め」と「寄り添い」の違い。 これはもう、あくまでも私の考えですから、参考になるかどうかわかりませんが、お話しさせていただきます。 結論。 「慰め」は、相手の感情を早く片付けたい人がするもの。 「寄り添い」は、相手の感情から逃げない人ができるもの。 ここ、実は決定的に違うんではないかなと思うんですね。 慰めるということは、これちょっと角度を変えると、どこか上から目線。 「よしよし」って子供が泣いている時に、「大丈夫だよ、あなたは悪くないんだよ、よしよし」みたいな感覚ですよね。 寄り添うというのは、「伴走型」ですから、例えば子供が何かあったとしても、 「大丈夫、あなたはできる。しっかり見守るし、隣にいるからね」 というような意思表示の形を表すものではないかなと思うんですね。 寄り添うというのは、位置が「隣」ですよね。 ところが、この慰めは、なんとなく私のイメージですが、上から「よしよし」とやられているような感覚があるんですね。 ここが決定的に違うのではないかなと思います。 よく慰めている人を見ると、口ではこう言ってますよね。 「あなたの力になりたいの」 「元気出してほしい」 「これはあなたのためだから」 「そんなあなたらしくない」 「あなただったらもっとできるよ」って。 ですが、心の奥ではどういうことを思っているんでしょうか。 「この重たい空気がしんどい」 「いやー、泣かれると困る」 「何か言わないと冷たい人と思われる」 「助けられる、いい自分でいたい」 「この場をなんとかうまく収めたい」 ということは、自分の不安を消すために言葉を出している。 だから、「慰め」はほとんどが自己都合なのではないかなと思います。 ちょっと厳しい言い方ですが、大丈夫でしょうか。 慰めの言葉が、相手を実は一番追い詰めることがあります。 「大丈夫」 「元気出して」...
毎週水曜日は、リスナーの皆様からの質問にお答えするコーナーです。 仕事のことや、人生のことで 知りたいこと、悩んでいること お寄せいただいたご質問に、私の考えでお答えさせていただきます。 あくまでも、一つのものの見方、考え方の参考になれば幸せです。 さて、今日はどんな質問が届いてるでしょうか? ちょっと見てまいります。 お待ちください。 ペンネーム 、のんたん、女性からです 質問内容: 朝倉先生、こんにちは。 職場であった事です。朝倉先生のお考えを知りたくてご質問させてください。 ビジネスマナーの中の「多様性」についてです。 私は今生薬ではありますが製薬製造会社に勤めております。 我が社は新入社員教育時に、本社教育として様々な教育の中のひとつとして、ビジネスマナーの中で髪の色についても、色ナンバーを提示しながら教育を行っています。ここまで行うのは、主に営業職があるからだと理解しております。 その後、実際に勤務する各拠点で同じように、おさらいの意味でビジネスマナー教育はしています。(総務課教育担当者に確認) 今回2年前に入社された製造部20代前半女性が、5月連休明けから、突然金髪👱で出社しております。 総務課の教育担当者も認知しておりますが、「困ったものだ」で終わり、本人への注意には至りませんでした。 以前品質管理部所属の方は同様な状態の時は直属の上司がお話しされ、少し栗色気味になりました。 今なお金髪の製造部の方の上司は、「今は多様性の時代だから、そこまで言わなくても良いと思う。仕事は真面目で前向きによくやる子なのだから。製造部であり、社外の方との関わりがないところだし、髪色で仕事の仕方が変わるわけではない。あまり厳しすぎると働き手がいなくなるよ」という意見でした。 確かに、仕事を真面目に前向きに行っていれば、髪の色は問題ない!ということも理解できる部分ではありますが。 社規で決められてるものではなく、あくまでビジネスマナーとしての教育。という意見でしたが。 私は、古い考え方なのでしょうか?表舞台に立たない製造だから、多様性の時代だから、ビジネスマナーでの教育に沿わなくても良いという考えには同意できない自分がいます。 製造であろうと外部の方と接する部署であろうと会社の社員は同じだと考えます。 「多様性」の使い方も受け取り方も違うように思えるのです。 とは...