ペンネーム:猫の手30代女性からです。
先日、大きく話題になっていたパワハラのニュースを見て思うことがあり、投稿させて頂きます。
第三者としてニュースを見ていると「うわーこんなひどいことをしていたんだ!」と驚くばかりですが、ふと自分がその環境にいた時に、その異常性に気づけるのだろうかと不安になりました。
会社にはそれぞれ良いものも悪いものも含めて、独特の文化や習慣などがあるはずです。その環境に身を置いているうちに、外ではあり得ないようなことが平気で行われることがあり得るように思うのです。朝倉先生は多くの会社を見てこられたと思うのですが、このような同調圧力というのでしょうか、良くないことも当たり前のものとして、受け入れてしまうような危うさを感じたことはありませんか。自分自身が無意識のうちに倫理に背いてしまうことがあるのではないか、私は気付けるだろうかということを最近よく考えています。
はい!ペンネーム:猫の手さん、質問ありがとうございます。
これは自分ごととして、実はこの問題考えさせて頂きました。
例えば、新入社員が初めて会社に入った。
中途採用の方が企業に勤めるようになった。
その会社は、独特の文化がありまして、その独特の文化を「いいなぁ!」と思うのか「これは自分には無理だ!」と思うのか、最初の直感力って凄く大事だと思うんですね。
例えば、枯れた観葉植物があっても、社内の中にいる人はなかなか気づかない。外から入ってきた人は一瞬に気づく。変化・違和感。そこに気づく感覚・感性で、すごく大事だと思うんです。
ところが放置されたまま、そしてそれがいつしか景色のようになってしまうと、感じることが鈍くなってしまいますよね。
例えば、暴力がいけないとか、パワハラが良くないとか、セクハラが良くないとか、それが分かっていても、日常それが当たり前になっていると、それが文化のように感じてしまうという事って、もしかしたら、我々が無意識の中に落ちてしまう、とっても危険なことではないかなと思うんですね。
違和感を受け入れるっていうのは、成長においてはとっても大事なことなんですね。
例えば、筋肉が鍛えられるのも、過度に負荷をかけない限り筋肉は鍛えられません。
心の筋肉も、例えば体の筋肉も、例えば色んな体験経験を経て、理不尽を受け入れたり、違和感をこれを乗り越えようとする中で、いろんな学びを深めていきながら、後になって「あっ!こういうことだったんだなぁ」ということに気付くってことありますよね。
ところが倫理観、道徳、やはりこれは絶対にあってはならない、そういう事柄って、普遍的なものだと思いませんか?
例えば、どんなことがあったとしても「してはならない事!」ってあると思うんです。
今回でいうと、安倍元首相の銃撃事件に関しては、これはもう絶対にあってはならない、私は蛮行だと思います。
それも含めてですね、色んな事柄が今日常の中で起こっている中、何が正しくて何が間違いか、それぞれ価値観は異なります。
ですから、いろんな人の価値観に対して、否定するんではなくってその価値観を受け入れられるっていう、自分自身の度量は大切だとは思うんですが、
ならぬものはならぬ!
ダメなものはダメ!
ここは自分の中での信念として、一つ持っておかなくてはならないんではないかなと思うんです。
大変恥ずかしいことですが、私どもの会社も、本当に過去はもう超が付くぐらいブラック企業だったなと思います。
上司が部下を所有物扱いしてるわけではないですが、時には感情的になりすぎて、もーあまりにも暴言を吐いたりとかも、それを私がある時に見てしまったことがあって、部下に対する指摘のあり方「これは違うだろう!!」と思って、もうそれを見た瞬間にものすごく上長を怒ったことがあります。
部下は所有物ではない!
部下を自分のものとして扱ってること自体が、なんと卑劣でみっともないことか。
発する言葉で人を傷つけたり、例えば、その言葉がどれだけ深い意味を持つのかっていうことも考えないで、立場で顎で人を使ったり例えば、ひれ伏せたり、こういうことはもう大嫌いなんですね。
それを目撃した瞬間があります。
もう今はそういう人材はいません。
ですが、やっぱりしていいことと、悪いことがあると思うんです。
注意・指摘にしても、部下の方がよくわかってます。
この上司は愛ある指導なのか?
感情で怒ってるのかどうなのか?っていうことを、一番敏感に見てるのが弱い立場の人であり、部下だと思うんですね。
そこも含めて、やってはならないことは絶対にやってはならない。その環境に麻痺してもならないと思います。
そして矛盾を感じたら、変える努力をしていかなきゃいけない。
それを最高権力者・権限のある人が、その矛盾を感じたり、もしくはそういう声があがってきたにもかかわらず、その立場に酔ったり、その立場にいつまでも着こうと思ったり、権限を振りかざしたり、これが私は一番気を付けなくてはならない部分ではないかなと思うんです。
リーダーのあり方、上司のあり方。
上に立つ人がどういうマインドで部下と接していくのか。
言葉の選び方姿勢態度のあり方、もちろん私自身も8年前9年前の YouTube の映像を見ていただければお分かりになるように、相当厳しく研修をやってました。
ですが、これも受講生との関わり方、受講生との距離感、受講生との信頼関係がなければ、厳しい事って出来ないんですね。それも含めて、自分の感情で怒ってるんではなく、なぜこれを伝えてるのかっていうことに対する動機づけ・意味づけ。そして厳しくした後、変化に対しては認める、褒める、時には称える。それがあるからこそ、より一層の人間関係を構築出来るんではないかなと思うんです。
様々な企業を見てきました。そして部下に対して、威圧的な態度で接し、そういう姿勢・態度の方には、私は率直にお伝えしました。
「私は〇〇さんと会うたびに、心臓が口から飛び出るほどドキドキします。これだけ私が緊張してるって言う事は、部下はもっと強いはずです」
「その中で〇〇さんがいるうちはいいでしょうですが、〇〇さんがいなくなったら、きっと部下たちの数字も下がるでしょうし、上司が恐いからやるではなく、なぜ厳しくしてるのか?それは全て部下の未来のため、その支店のため、その店舗のため、その営業本部のためにやるべきことではないか?っていうことも含め、率直にお伝えさせて頂きました。
その時言われました。
「朝倉さんだけだよ、そういう風に厳しいこと言ってくれるのは」
と言いにくいこと、これを言ったら嫌われるな。
もしかしたら怒られるかもしれない。
だけどそこでクッション言葉をつけて
「言いにくいことを率直にお伝えしてもよろしいですか?」
「今まで感じている矛盾について、私の声でお伝えしてもよろしいですか?」
「どうしても納得出来ないことがあるんですが、今日この場で率直にお伝えしてもよろしいでしょうか?」
と前置きをつけて、自分の感じてることを正直に伝える。
そしてそこに対して聞く耳がない「何を生意気なこと言ってるんだ!」って言うて、力で押さえつけられるな人は「力で押さえつけるような人は真のリーダーではない!」そういう人は威圧的に人をコントロールしてるわけです。
これは私は絶対に良くないと思ってます。
想いの強さが怒りの強さ
これは親が子を思う気持ちと同じじゃないですか。
自分のことを棚に上げても「自分の子供には伝えなくてはならない!」という心理が親にもあります。その叱り方が上手い下手ではなく、想いがあるからこそ、根気よく指導育成してくれると思うんですね。
一時的な感情だとか、その人に対して押さえつけようというようなあり方は、私は圧力っていうのは嫌いです。
俺様ではなくお陰様
心のマッチョを目指せ!
見た目のマッチョだけではなく、心のマッチョを目指して欲しいなと、ここは心底思います。
この質問が、今回のペンネーム:猫の手さんが、一番聞きたい真意とあってるかどうかはわかりませんが、何かの一つの参考にして頂けるとありがたいなと思います。「みっともない」の語源は「見とうもない」
部下は所有物ではない!
心配ではなく信頼することによって、確実に部下が成長していくっていう姿を、私はこれまで何年も拝見させて頂きました。
会社を辞めて独立してる部下からも連絡が来ます。
「社長、あの時に厳しく指摘された意味が、今頃よくわかりました!そして会社を経営することが、どれだけ大変なのかっていうことも、とてもよく理解出来ます。合わせて思って厳しく指摘をして下さりありがとうございます。今頃、本当にそれが生きてます!」
って言うことを退職した部下からも連絡が来たりすると、その時嫌われることを恐れ、昨夜ことは言って良かったなと思うことも多々あります。
一つの、あくまでも一つの参考になればということで、お伝えさせて頂きます。
しかしながら、角度を変えると「自分は良かれ」と思っても、相手がそれを受け止めてくれなかった時、誤解されて本当に苦しい思いをした事も多々あります。
これは悲しいですが、自分の伝え方に問題があったり、自分の在り方に問題があるんだっていうことで、真摯に受け止め未来に改善に、未来に繋げられるように改善を心がけております。
まだまだ成長です。
まだまだ100%でありません。
百点満点なんて一生涯取れないと思うんですが、それでも継続して努力し続けてまいります。
日々精進あるのみ!
皆様と一緒に成長していきます。
ありがとうございます。
いかがでしたか。
私が一番嫌いなのが、やはり権限・権力で人をひれ伏せたり、自分の言う通りにやれって言っても、自分の思い通りにならないことだらけじゃないですか、世の中は。
それに対して、日常管理もしない、愛情もない。
それでいて、困ったら部下を売る、上司を売る。
こんなリーダーはリーダーではない!
そこも含めて、あり方、今いろんなことが問われてます。
正直者が馬鹿を見ない時代
悪が露呈する時代
私たちは自分を律し、自分がやってる行いは本当にこれは、天から見た時にどうなのか?
義に反していないか?
倫理に背いていないか?
何があっても正々堂々!
嘘をつかない!
言い訳をしない!
話してることに一貫性がある!
バーター取引をしない!
いざとなった時に絶対に逃げない!
人を売る!
部下を売る!
困った時に「自分さえ助かればいい」という、この私利私欲ではなく、自分さえよければいいというような、そういう価値観・感覚ではなく
どうすれば周りが良くなるのか?
どうすれば人が良くなるのか?
部門を良くなるのか?
部下が良くなるのか?
チームが良くなるのか?
お客様のためになるのか?
それを真剣に考え行動出来るそんな人がこれから先、時代の権威者として残っていくのではないでしょうか。
自分のためだけ「俺だけ良ければいい」「私だけ良ければいい」
そうではなくって、
どうすれば周りの人が良くなっていくのか?
周囲の縁ある人が素敵に輝いていくのか?
幸せになっていくのか?
そのために、自分がどれだけの命の時間を使うことが出来るのか?
そんなことを改めて、本日の質問を通して考えさせて頂きました。
何があっても正々堂々!
いざって言った時に逃げない!
そういうリーダーでありたいなと、改めて自分ごととして捉えさせて頂きました。
まだまだ出来ないこと、未熟な私ではありますが、日々精進していく姿勢だけは忘れたくないなあっていうことを、改めて感じさせて頂きました。
ありがとうございます。