今日は「絶望は神様からのギフト」このテーマでお話をさせていただきますね。
絶望と聞くと、どんなイメージがありますか?
もう立ち直れないような、非常に衝撃的なマインド。
そんな感じがしますよね。
絶望がギフトなんてありえない、そう思いますよね。
だって絶望の時は、もう立ち上がれない、もう終わりだってそう思ってしまいます。
私もこれまでの人生を振り返ってみると「もう無理だ」と思ったこと、これこそ絶望だと思ったことがいっぱいありました。
ですが今、振り返って思うことは、どんな闇の中にも光はちゃんとあるということです。
やはり、夜明け前が一番暗い。朝の来ない夜はない。
そこも含めて、いろんな体験経験を経て学ばせていただいたこと、たくさんあるなぁと思います。
振り返ってみた時に、あのどん底、あの絶望があったからこそ、今の自分があるということが後になってわかるんです。
人生を長く生きていると、あの時の苦しみ、あの時の涙が、実はもしかしたら神様が新しい私に出会わせてくれた特別な贈り物だったのではないかなと、気づく瞬間があるんです。
例えば、自分の人生を振り返ってみた時に、最もしんどくて最も苦しかったのが35歳の年です。
あの時の一枚の写真があるんですが、いや、本当にもう誰にも見せたくないな、というぐらいボロッボロの状況でした。
ですが、その一枚の写真を見ると思い出すんです。
今がどれだけありがたいのか、今がどれだけ幸せなのか、ということに気づくんですね。
もし、どん底、絶望の状況じゃなかったとしたら、きっと私は今はないと思います。
好きでついた仕事ではなく、生きるため、食べるため、借金を返済するために仕方なく選んだ営業職に就けたおかげで、人生が本当に変わったんです。
キオスクで一冊の書物に巡り合い、その本を読んで著者に会いに行くと決めて、初めて著者先生に会いに行ったのが、昨日お話をさせていただきました、私の唯一のメンターである見山敏先生。
もしも見山敏先生とのご縁がなかったとしたら、私は書籍を出すことはなかったと思いますし、仮に出せたとしても41冊も出せたかというと、そこも分かりません。
もっと言うならば、おそらく書籍を出すのはもっと後になってたのかもしれません。
2002年、初めて『不思議と説得力のあるセールストークの秘密』という本を出しました。
当時はまだ顔写真入りの女性の営業本が1冊もなかったということも含めて、第1冊目が比較的に売れたことで、2冊、3冊、4冊と、多い時には1年で4冊、5冊を同時並行で書く、そんなタイミングもありました。
その当時は年間300回研修をしているタイミングで、よく本も書けたなと思いますが「急ぐ仕事は忙しい人に頼め」という言葉があるように、タイムスケジュール、タイムマネジメントも当時はうまくできてたなと思います。
年齢的には43歳、44歳、45歳ぐらいの年でしょうか。
トップセールスレディ育成塾が2003年9月27日にスタートし、その後2冊目、3冊目、4冊目、5冊目、6冊目と、どんどん本を出せるようになったのも、今思えばあのどん底、絶望があったからだなって改めて思います。
順境な時は学べない、逆境を体験して初めて人は様々な気づきを得る。
父が教えてくれた言葉「順境では学ぶことがない。逆境を乗り越えて初めて、様々な気づきや学びを得るんだ」という言葉の深い意味も、今だからこそ分かります。
順調な時には見えないことがたくさんあります。
うまくいっている時ほど、心は少し強がってしまったり、傲慢になったり、うぬぼれたり。
ですが、何もかもうまくいかなくなった時、また、もうこれ以上落ちようがないというぐらい落ちた時に、心の鎧が剥がれ素直な自分が顔を出すんです。
泣くことも、落ち込むことも、実はとっても大事なこと。
それは魂が生まれ変わる準備をしているサインだったんだなということを、今だからこそ分かります。
私は本当に何か決断する時に、パッと決断できる時と、何年も何年も何年も考えて、毎日毎日毎日考えて、どの決断が最もこれからの人生にとって良いのかということを考えるタイミングが、これまでもありました。
絶望とは、もう一度あなたを優しく生まれ変わらせるための時間。
神様が「少し立ち止まって、自分の本当の心の声を聞いてみてください。心の声を聞きなさい。心の声を聞いてごらん」と、静かに語りかけてくれるのかもしれません。
だからこそ、真っ暗な夜空を見上げると、小さな星がひと際美しく輝いて見えることってないですか。
昼間は太陽の光に隠れて見えない星たちが、夜になると姿を現します。
人生も全く同じです。
明るい時には見えなかった光が、絶望の暗闇の中で、ふっと見えてくることがあります。
それは誰かの優しさであったり、当たり前だと思っていた幸せが、実は当たり前ではなく、本当に心から「ありがとう」を言える、そんな尊い時であったり。
その光に気づくために、私たちにいろんなことを教えてくれるのではないかな、と思うんですね。
私は過去の人生を振り返ってみた時に、もうこれ以上落ちようがないっていうぐらい悩み苦しみ落ちた時に、這い上がっていけたような気がします。
どん底を味わった時、絶望の瞬間、まさに自分の人生そのものが全て壊れてしまったように感じますよね。
ですが、それは壊れているのではなく、新しい形に変わろうとしているのかもしれません。
壊れることを恐れなくても大丈夫です。
私はやっぱり、手に何かを持ちながら新しいものを掴むっていうことは、難しいと思うんですね。
だからこそ、なんでこんなことが起きるのか、なんでこんな思いをしなきゃいけないのか、そういうふうに感じる様々な出来事の中に、次へ進むためのサインが隠れているなと思うんです。
涙は心を洗います。
不思議ですよね、本当に。
涙を流している時は苦しいんですが、流し終わった後に何かすっきりしませんか。
涙は心を洗い、涙は心の浄化。
溜め込んだ悲しみや悔しさや寂しさを、静かに洗い流してくれる涙。
涙を流した分だけ、人は優しくなれます。
昔、以前の会社を辞める時に、部下からもらった言葉。
「流した涙の分だけ、幸せつかんでくださいね」って。
そのメッセージにも、グッとくるものがありましたね。
作家さんの書いてくださった額だったと思うんですが、そこに入ってたメッセージ、石に刻まれたメッセージもありましたが、いまだにそのいただいたメッセージのことは忘れません。
泣きましたね。本当に寂しい思いをしました。
一人がこんなに寂しいのかっていうことを感じた時期も、長くありました。
ですがその分、人の痛みが分かるようになりました。
母が常に言っていた「千恵子って、人の痛みが分かる優しい子になってや」って言われた言葉の意味も、今はとっても深く深く分かります。
人は壊れて初めて強くなれるんです。
痛みを知った人は、他人の痛みが分かるようになります。
だからこそ、優しさが深くなるんです。
人は支えられて生きているんです。
苦しい時に差し出された手のぬくもりは、一生忘れません。
あの優しさに触れた時、人は自分も誰かを支えたいと思えるようになります。
本当の願いは、静寂の中で見えてきます。
絶望の時こそ「私、何のために生きているんだろう」という問いが生まれます。
その問いの答えが、私たちの魂の使命なんです。
今、もしも心が苦しくて、これから先どうしていいか分からない、そんな方のために一言。
焦らなくても大丈夫です。
立ち止まってもいいし、泣いてもいいんです。
うまく笑えない日があっても大丈夫です。
あの時間こそが、これから先の未来のために「絶対にあれがあったからこそ、今があるんだ」と言える、そんな日々が確実にきます。
あの時の絶望が私を導いてくれた。
あの経験があったからこそ、今の自分があると、絶望に感謝できる日が必ずきます。
今日はそんなことを伝えたいなと思いました。