ゴールデンウィーク明けの5月8日
今日は21年前を振り返って「私自身がどのように人生が変わったのか?」って言うことをちょっとだけ見直してみました。
21年前40歳の時、2002年初めて営業本「不思議と説得力のあるセールストークの秘密」って言う本を出しました。
恵比寿に5万9000円のレンタルオフィスを借りてそこから、スキルアップアカデミーを立ち上げ、毎月たくさんのセミナーを開催し、そのタイミングで神田正則さんと対談ができて、そのテープが非常に売れたって言うこともありまして、数多くの経営者の方々、また起業を目指してる方々が訪ねてきてくださり、セミナーは大盛況でした。
そんなタイミングの中、2003年に女性限定の営業塾を開催したくて、帝国ホテルタワーにオフィスを構える!そんな運びになるんですが、今日はちょっとだけ年次で振り返ってみました。
21年後振り返って、テーマとしては「人は節目節目で強くなる」
もう一つは「何かを始めるのに遅い早いはない」
1つ目の「節目節目で強くなる」このテーマにおいては、
まず1つ目、35歳で4000万円の借金を作ってしまって「まあ、明日からどうやって食べていこう?生きていこう?」と思いながら就職先を探したものの、35歳を超えてる私はどこも採用してはくれない。
10社中9社は面接もなく落とされたあのタイミング。好き嫌いではなく自分自身が営業の世界に身を置いたことによって、人生が完全に変わり始めたって言うタイミング。
そして3つ目が、2003年に女性限定の営業塾「トップセールスレディー育成塾」を開校したくって、本格的な起業。
起業と言う字「己」が「走る」と書きますが、2003年の6月6日に有限会社朝倉千恵子事務所を立ち上げ、その年の9月27日から「トップセールスレディー育成塾」を開講しました。
2004年6月の1日に現在の株式会社新規開拓を設立しました。
その後、2005年から人材紹介派遣ビジネスを立ち上げ、2006年からは本格的に2つの事業、人材紹介派遣ビジネスと教育研修のビジネス。この2つの柱で行っていたんですが、2008年リーマンショックがあり、このタイミングで人材紹介派遣事業は一旦横に置いて、教育1本でやるって言うことを決めました。
その後2011年、東日本大震災の時、この時は私の持ち物をTSL塾生に買ってもらって、それを寄付して塾生たちが本当に力になってくれたことによって、300万以上の金額を集めることができました。
2020年コロナ禍。
このコロナにおいてリアル版「トップセールスレディー育成塾」このリアル版TSLを完全にオンラインに切り替えると言うことを決め、2020年6月の20日からオンライン版TSL0期が開校。
2020年6月21日からオンライン版、魂に喝を入れる塾「魂喝塾」を開講し現在に至る。
やっぱり色々ありました。
色々あったからこそ、節目節目で強くなれたのかなと言うことを感じております。
もう1つは「何かを始めるのに遅い早いはない」って言うテーマでお話をさせて頂きます。
まず1つ目が41歳の時に「トップセールスレディー育成塾」を開校。
42歳の時に株式会社新規開拓を設立。
2019年11月3日母が亡くなり、2020年3月6日父が亡くなったこと。
その父が亡くなったこと、母が亡くなったこの3年間は、やっぱり大きく変化したなと思います。
そこも含め、これから私自身も「まだまだチャレンジをしていきたい」と言うマインドは実は変わっていないんですね。
「何かを始めるのに遅い早いはない」
41歳で起業しましたが、それから20年が経った今、全く何かを始めることに対して諦めていない自分がいます。
ぜひ、こっからの私のチャレンジも見ておいていただければなと思います。
改めて21年間を振り返ってみて
「人は節目節目で強くなる」
「何かを始めるのに遅い早いはない」
人生は1回しかありません。
チャレンジこそ人生
やらない後悔よりやった経験
やるか!やるか!やるか!
そんな意気込みでこれからも邁進し続けてまいります。