Voicyリスナーの皆様、今日は片岡鶴太郎さんからいただいたメッセージをお届けさせていただきます。
2025年4月21日月曜日、朝7時35分、88歳でご逝去されましたフランシスコ教皇のお言葉です。
心に深く響くメッセージをお届けさせていただきます。
それでは、読ませていただきます。
「この世に私のものは一つもない 」
― フランシスコ教皇 ―
この世の
すべての愛する子どもたちへ。
私は今日、
この人生を通り過ぎる者として、
小さな告白を
一つ遺したいと思います。
毎日、顔を洗い、
身だしなみを整え、
鏡の前に立って生きてきました。
その姿が「私」だと
信じていました。
しかし、振り返れば、
それはただの、
一時的にまとう衣でした。
私たちはこの身体のために、
時間を使い、
お金を使い、
愛情と情熱を注ぎます。
美しくありたい。
老いたくない。
病気になりたくない。
そして……
死にたくないと願いながら。
ですが、
結局この身体は、
私の願いにかかわらず、
太り、
病み、
老い、
そして、
静かに私から
離れていきます。
この世で、
本当に「私のもの」と呼べるものは、
一つもありません。
愛する人も、
子どもも、
友人も、
そしてこの肉体さえも。
すべては、
雲のように、
一時的に留まるだけの存在です。
憎い縁も、
美しい縁も、
すべては
私に与えられた
人生の一部でした。
だから、
避けられないなら
抱きしめてください。
誰かがしなければならないことなら、
「私が先に」
そう思って
取り組んでください。
無理やりではなく、
喜びの心で。
やらなければならないことがあるなら、
先延ばしせず、
今日、今すぐに行いましょう。
あなたの前にいる人に、
あなたのすべての心を
注いでください。
泣けば、
解決するでしょうか。
怒れば、
良くなるでしょうか。
争えば、
勝てるでしょうか。
この世の出来事は、
すべて、
それぞれの流れに従っています。
私たちができるのは、
その流れの中で
少しの余白を与えることです。
少しの譲り合い。
少しの思いやり。
少しの控えめさ。
それが、
誰かにとって
温かな息抜きとなります。
そして、
その温もりが、
世界を再び
包み込む力となるのです。
今、
私は旅立つ準備をしながら、
この言葉を
遺したいと思います。
「本当に、
ありがとう。」
私の人生に
触れてくれた
すべての人々へ。
すべての縁へ。
そして、
この美しい世界へ。
「私と縁を結んでくれたすべての人々に、
心から感謝します。」
静かに振り返ると、
この人生は、
感謝に満ちた
奇跡のような旅でした。
どうか、
あなたの人生にも、
このような静かな奇跡が
訪れますように。
心から
お祈りしながら、
この手紙を終えます。
フランシスコ(1936〜2025)
片岡鶴太郎さんから届けられたこのメッセージ、いかがでしたでしたでしょうか。
私はこの言葉を読んで、改めて感じました。
自分のものだ、私のものだと思い込んでいたものが、実はすべて一時的なもの。
だからこそ、今ここにある縁や愛、目の前にいる人と時間をもっともっと大切にしよう、その思いがより深く心に刻み込まれました。
私たちは日々、多くのものを手にし、抱え、そして守ろうとしています。
例えば、愛する家族、友人、大切な財産、そして自分自身の体。
それらがいつまでも自分のものであるかのように思い込んだり、執着したり、手放したくないと、そう願い続けています。
ですが、少し立ち止まって考えてみると、それらはすべて一時的なものだということに、私は気づかされました。
生まれた時、私たちは何も持っていなかったはずです。
それでも、たくさんの人と出会い、学び、成長し、経験を積んできました。
その中で得たものも、失ったものも、すべてが流れるように過ぎ去っていきます。
昨年、私は自分が大事にしていたものをすべて全捨離しました。
30年間で貯めたもの、その中にはいろんな思い出がありました。
ですが、執着からの脱皮ができたことは、本当にありがたいなと思います。
私は、物を捨てられるタイプではないです。
だからこそ、それを大切にしてくださる方に、お裾分け、届けばよいなということで託させていただきました。
愛する人との時間も、抱きしめるぬくもりも、いつかは形を変え、私たちの手元を離れていきます。
悲しいことのように思われるかもしれませんが、それは決して悪いことではなく、手放すことで新しい出会いや、新しい学びが生まれ、また次のステップと進んでいくんです。
教皇の言葉の中には、ものすごい深いメッセージがありました。
泣けば、
解決するでしょうか。
怒れば、
良くなるでしょうか。
争えば、
勝てるでしょうか。
一度立ち止まって考えてみると、感情に振り回されていた自分に気づきます。
もちろん、泣くことで心が軽くなることもありました。
怒ることで自分を守ることもできました。
ですが、その後に残るものは、少しの後悔やわだかまりもあったことは事実です。
逆に、ほんの少し譲る心、相手を思いやる心、気遣う心を持つだけで不思議なことに、なぜか自分自身も、とっても穏やかになります。
相手に手を差し伸べる勇気、温かい言葉をかけるだけで、その人の心も軽くなります。
お互いが少しずつ譲り合い、支え合い、歩み寄ることによって、心地よい風が吹き抜けるような空気感が生まれます。
人生は、お一人様一回限り。
私たちが思っている以上に短い旅なのかもしれません。
ですが、その旅の中で誰かに優しくしたり、誰かから優しくされたりする瞬間は、心にずっと残る宝物になります。
目の前の人に笑顔で接すること、相手の話に真摯に耳を傾けること、些細な優しさを届けること、それがどれほど大きな奇跡を生むかは、きっと後になって気づきます。
今日も目の前にいる人を大切にしてくださいね。
少しだけ自分の心に余白を作って、相手を受け入れる余裕を持ってみてください。
その小さなゆとり、小さな余裕が巡り巡って、自分の心も豊かにしてくれます。
何よりも、自分の心を温かく包んでくれるはずです。
出会った人に心を込めて接することで、その優しさが大きな輪となり、未来へとつながっていきます。
全ての出会いに感謝し、今日も心穏やかに過ごせますように。
朝倉千重子でした。
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Francesco(1936年12月17日 - 2025年4月21日)第266代ローマ教皇 |