私の大好きな南紀白浜。 南紀白浜といえば何と言っても有名だったのはパンダちゃんです。 そのパンダちゃんが2025年6月末で中国に帰っていきました。
いやー、先日白浜に行った時にタクシードライバーの方が「元パンダの街って言うんですようかね」とか「レッサーパンダが今度やってきました」とか「レッサーパンダとパンダはやっぱりちゃうしな」とか、いろんなことを思いながら、ふと私も今日はパンダのことを語ってみたいと思います。
先に申し上げますが、私は一番動物で好きなのはホワイトタイガーです。 ホワイトタイガーが一番好きです。 ですが、今日はパンダの話をちょっとだけさせてくださいね。
どうしても、あのパンダがいなくなった南紀白浜。
やっぱりね、皆さんものすごく悲しい思いをしてるんですよ。 悲しい思いというか、寂しいんですよね。
パンダ列車あれどないなるんやろう?って感じですよね。 私もパンダ列車嬉しくて写真撮りましたから昔。 あのパンダ列車もうパンダのイラストがいっぱい描いている写真付きの特急もどうなるんだろうとか、もうね、いろんな心配をしている私がいるわけですよ。
パンダについてある人が教えてくれたのは、なんでパンダがあんなに人気なのかということも含めて、いろいろと教えてくれた中で、模様が全部一緒だって言うんですね。
模様が全部一緒?どういう意味だろうって。
例えばシマウマとか、あとはチーターとかヒョウとかも、ワンちゃんもネコちゃんもそうですけど、みんなそれぞれ模様って若干違うじゃないですか。 毛並みもそうですから、ネコちゃんもそうですよね。
ところがパンダは、白黒の位置が同じ位置にあるって言うんですよね。
同じ位置?
そう言われてみれば、ぬいぐるみでも象徴されるように、本物もぬいぐるみもあんまり違いがないって言われるのは、黒と白の模様が同じ位置にあるからなんですね。
何よりも穏やかで愛らしいと思われるのは、竹を一心に食べる姿であったり、コロンと転がる無邪気さであったり。 年、全然わからない。 子供パンダなのか大人パンダなのかわからないですが、仕草が可愛いっていうこともありますよね。
その一つ一つのあり方、食べ方、仕草、それがパンダの代表的なものなのかもしれませんが、直感的で言うと、やっぱり模様が一緒っていうのが、なんとも愛おしい部分なのかなっていうことも思いました。
もう直接見ることはできないんですよ。 そう思うと、やっぱりなんとなく切なくて寂しいですよね。
私は最大7頭までいたときに、コロナのタイミングに、もう本当にすっきすきの状態で、一人で見に行ったんです。 一人で見に行ったって、このタイミングで見とかないと一生見れないのではないかと思って、パンダを見に行ったんですが、その当時は赤ちゃんパンダも出れると7頭いたんですよ。 最大7頭。 もう貸切状態で見ることができました。
やっぱり、白と黒の模様の配置が、どのパンダも同じなんです。 配置は一緒なんですよ。 だから変わらない安心感を、私たちに与えてくれたのではないか。
毎日が忙しく、社会がどんどんすり変わっていく中で、それでもパンダはいつも変わらない姿でそこにいた。 そこにいたんですよ。 その存在自体が、私たちに安心と癒しを与えてくれたのではないかなと思うんですね。
ですが、私はある方から、パンダは模様が一緒っていうことで言われたんですが、調べてみると、よく見ればそれぞれ違う個性があるんです。 飼育している人たちは、その個性を見て、名前もしっかり間違わずにお話をされているわけですからね。
じゃあ何が違うのかというと、目の黒い模様の形が若干違うんですよね。 耳の大きさ、体つきや毛並みも若干違うそうです。 一頭一頭に確かな違いがあります。 だからこそ、その子らしさを感じることができる。 これはマニアじゃないとわからないですよね。 私、全然わからないです。
同じでありながら違う。 そこには、人と人との関わりにも通ずる、真理があるのではないかと。 共通する部分があるから安心できる。 また、違いがあるからこそ、互いに惹かれ合い認め合える。 パンダは、無言のうちにそのことを、私たちに教えてくれたのではないですようか。
白浜にいたパンダ。
あのパンダが残してくれた大きな贈り物は、白浜の町民にとって、かけがえのない存在だったんですよ。 観光資源として町を支えてくれただけではなくて、そこにあふれる子どもたちの笑顔。 人々の心を温めて町全体を笑顔にしてくれました。
そのパンダが、今年の6月末でいなくなってしまった。 レッサーパンダが到着したようですが、いやー...レッサーパンダちゃんと、やっぱりパンダは違うもんなー...と思いながら、今回話を聞きながら思いました。
子どもたちは、パンダを見て夢を描きました。 この可愛い動物を守りたい。 自然を大切にしたい。 そんな純粋な気持ちを芽生えさせてくれたパンダ。
大人たちは、そのパンダののんびりした姿に触れることで 「急がなくてもいいんだよ」 「ありのままでもいいんだよ」 そんな安らぎを、受け取ったんではないかなと思うんですよね。 パンダを見て怒り出す人っていないですよね。
たくさんの家族が、パンダをきっかけにいろんな思い出を作ってくれました。 特に5月、6月、すんごかったですよ!南紀白浜。
私は2ヶ月ぶりに、8月に白浜に戻りましたが、いやーとにかく、5月、6月すごかったですよ。
ところが、6月にパンダちゃんがいなくなってからは、ガランとしてて、もう本当に、もう南紀白浜かわいそうだなと思うような状況でした。
皆さん、南紀白浜に来てくださいね。 海の幸はおいしいし、温泉もめちゃくちゃいっぱいありますよ。 本当に素敵な街ですからね。 白浜の町民の方々、みんな優しいんですよ。 パンダはいなくなりましたが、
皆さん!ぜひとも遊びに来ていただけるとありがたいです。
親子で手をつないで見たパンダ。 カップルが微笑み合いながら、パンダ舎の中で過ごしたひととき。 高齢者の方々も「パンダかわいいね」と。もうやっぱりね、言ってました。 パンダは、もう町民にとっては、めちゃくちゃ大事な存在だったんですよ。 だから、いなくなってしまった後に、感じることっていっぱいありますからね。
パンダがいなくなってしまった今、誰もが心に寂しさを抱いていると思います。 もうあの姿を見られないと思うと、やっぱり寂しいし、悲しいですよね。
ですが、パンダが残してくれた私たちの思い出。
目を閉じれば思い出せるあの姿。
写真を開けばよみがえる笑顔。
笑顔というか、私も自分一人でパンダ相当写真撮ったというのがあります。
ちょっとこう今日はね、私が一人で見に行った、白浜のアドベンチャーワールドでのパンダも、このVoicyのチャプター欄に使わせていただければなと思います。
いやー、もうね、本当に、一説によると、もう期限が来たから帰ったということですが、いやー、もうね、もう本当に、パンダがいなくなって寂しいなと思うんですよ。
契約に基づいて返還の時期が到来したがゆえに、アドベンチャーワールドにいたジャイアントパンダが、みんな帰ってしまいましたが、また帰ってきてようと思いますよ。
30年以上続いた、日中共同の保護、研究プロジェクトの終了を、終了を意味してしまう。 施設の中でも、契約上の義務や、繁殖計画に基づいたということもあって、 いやね、白浜は、本当に繁殖計画もそうですが、パンダの赤ちゃんを、いっぱい産んでくれましたからね、南紀白浜は、めちゃうまかったんですよ。
いや〜今現在、日本にパンダが残っているのは上野動物園の、リーリーちゃんと、シンシンちゃんの2頭のみですが、このパンダちゃんも、来年2026年の2月返還予定ですからね。 ぜひ皆さん、パンダしっかり見ておいてくださいね。
これから、白浜の地域経済の影響は大きいんです。
ですが、パンダのいなくなった白浜ではありますが、ここから、さらにみんな力を合わせて、パンダの代わりになる観光を、どうやって増やしていくのかということを、みんなで真剣に、考えてやっていくと思うんですよね。
私も白浜住民として、パンダがいなくなっても、白浜はどんなに素晴らしいところなのかということも、語っていきたいなと思います。
ぜひ皆さん!南紀白浜、めちゃくちゃいいところですからね。
東京から飛行機に乗ったら50分で着きます。 1日3便がありますからね。 早めに予約したら安く取れますが、最近飛行機代も上がってきて、もうちょっと安くしてよって。 そんなことを一人で言うなって話ですけどもね。
ということで、今日は、なぜかパンダのことを語らせていただきました。
パンダの模様は、全て同じということを教えられて「ホンマかいな?」と思いながら調べた中、これは模様、パターンは一緒なんですよ。 だから、ぬいぐるみのパンダも、本物のパンダも、模様、柄、位置は同じところに白黒があるんです。 ぜひ皆さん、そう思って観察してみてください。
ということで、連休明けの、どうでもいいようなお話になってしまいましたが、お聞きいただいて、嬉しいです
このパンダだけでは、ちょっと、ちょっとVoicyのリスナーの皆様にも申し訳ないなという中で、もう一つお話しさせていただきますね。
これは「違和感を感じる感性」「理不尽を受け入れる度量」
ここについて、お話しさせていただきます。
実はこの二つの言葉、人間として成長する上でとっても大事なんですね。
「違和感を感じる感性」
「理不尽を受け入れる度量」。
仕事人としての在り方、そしてコミュニケーションの真の価値にも、実はこれは深くつながっていきます。
なぜかというと、
「人は、人から物を買う」
嫌いな人からは、たとえ同じ商品であっても買いたくないですよね。 それが自然な心です。
だからこそ、人に好かれる在り方を、私たちはいくつ知っていますか?
知らないうちに、無意識に人を傷つけてしまっていることはないですか。?
気がつけば、周囲の誰からももうアドバイスをもらえない。 そんな状態になっていないですようか。
実は、善人だからこそ陥る道があります。 それは以前、Voicyでもお伝えさせていただきましたが「善のおごり」です。
自分が正しいと思うことを、相手に強く押し付けてしまう。 大切だからと主張しすぎて、かえって相手の心を遠ざけてしまう。
私自身、そういう経験を何度もしてきました。
恥ずかしいこと、
みっともないこと、
良かれと思って言ったことによって、相手が傷つくということもありますよね。
物事には段階があります。 気づくべきタイミングで人は気づくんです。
ですが、自分の正しさばかりを前面に出していると、周りの人は離れていきます。 正しいことを伝えることは大事なんです。
ですが、その伝え方のあり方を間違えると、相手を不愉快にしてしまいます。 正論は悪いわけではないんですが、正論の主張の仕方を間違えると運命が悪くなる。
人が人を好きになるのは、やっぱり理由がありますよね。
逆に、疎まれてしまうにも必ず理由があります。
好きに理由はないかも分かりませんが、本能的に好きということってありますからね。 ですが、やっぱり言葉の選び方、姿勢、態度、気をつけなくてはならないなと思います。
今の自分の姿、今の立場、今の人間関係や評価。 これらは、これまでの自分の発言や行動の積み重ねの産物ではないですか。
だからこそ、ぜひとも自分に問いかけてみてください。
皆さんは、今の自分に満足していますか?
周囲との良好な関係性を維持、継続する在り方をどれだけ理解できていますか?
今の私たちの姿は過去の選択の結果です。
過去の選択によって出来上がった作品なんです。
人はなりたい自分になれます。
いやいや、すでになりたい自分になっているとも言えますね。
もし、今の自分に満足できないのであれば、変えられるのは今しかないんです。
人を変えるとか、過去を上書きするということはできない。
ですが、消してしまいたい過去でさえ、今が充実していると過去に感謝できるようになります。 私は過去の選択、過去を恨んだこといっぱいあります。 ですが、あの過去があるからこそ、今があるんだなって。過去にも感謝ができるような自分になりました。 まだまだですけどもね。
ぜひ、自分を本気で大事にしてくれる人
本気で心配してくれる人
本気で愛してくれる人
ないがしろにしていませんか。?
私たちは、私たちは決して一人で大きくなったわけではないんです。
一人で成長してきたわけでもありません。
仕事を覚えるのは、仕事を教えてくれた先輩上司のおかげなのではないですようか。
厳しく注意指摘してくれたその上司のおかげで、仕事力が身についたということってありませんか。
感謝の心を忘れてしまえば、全てを失ってしまいます。 これは、私が身をもって学んできたことです。
ですが反対に、本気の姿勢、本気のエネルギーを持った瞬間、私たちの人生は必ず大きく肯定していきます。
ぜひ、これも参考にしていただけるとありがたいです。
善のおごりにならないように気をつけます。