ペンネーム::、匿名希望、40代女性からです。
朝倉先生は、よくご両親の教えをお話されていますが、 ご両親から言われたことや教えられれたことにたいして 違和感を抱いたことはありませんか? 私は、両親のことをどうしても尊敬できません。 育ててもらった恩はあるものの、 母に言われてきた言葉は 教えや導きというよりもまるで呪いのようです。 小さな子どものころは 母が言っていることが正しいのだと 思っていたのですが、 成長するにつれて、 どこかズレているなと感じるようになりました。 どこから拾ってきたのか 陰謀論的な情報を鵜呑みにして、 自分とは違う考えの人は 徹底的に攻撃しないと気が済まないような人です。 もう私も40歳を過ぎていますが、 いまだに過干渉で、 ズレた価値観で私のやることすべてに口を出してきます。 最近は、顔を合わせればお金も求めてきます。 世間でいうところの「毒親」なのだと思います。 自分の心を守るためにも、 今はできるだけ距離を置くようにしています。 朝倉先生がご両親のお話や 親孝行について語られるたびに、 「それって朝倉先生のご両親が、 たまたまできた人だったから 成り立っているだけでは?」 という否定的な気持ちと、 「きっと完璧な親なんていないのだから、 両親を拒絶している私が 幼稚なのかもしれない」 という気持ちが入り混じって苦しくなります。 相手が毒親であっても、 親孝行をしなければいけないのでしょうか。 独善的で利己的な価値観であっても、 親の言葉から何かを 学んだほうがいいのでしょうか。 率直な質問になっていまいました。 もし、Voicyで取り上げても 構わないと思われましたら、 お答えいただけると嬉しいです。
はいペンネーム、匿名希望、40代女性の率直な質問、チャプターを分けてお話しさせて頂きますね。
質問ありがとうございます。
それでは頂いた質問に対して私の考え、これもあくまでも私の考えですから、こうしなければならないとか、こうすべきとか、こう言う考えでいかなくてはならないと言うことではなく、本当に一つの参考としてお聞きいただけるとありがたいです。
まず最初の「朝倉先生はよくご両親のお話をされていますが、ご両親から言われたことや、教えられたことに対して、違和感を抱いたことはありませんか?」って話がありますが、違和感を抱いたことはあります。これ、全くないかって言うと嘘になります。もっと言うとですね、
私は父に対して本当に腹立たしい感情を持っていて、まあ後に考えたら誤解でもあったんですが、それでもやっぱり父のせいで、うちの母が月に100万円ずつのお金を返済しなくてはならなくなった。そして父のせいで母が脳梗塞で倒れた。父のせいでって言うことも含めて、これ私の多分私のタイプなんでしょうけども、私は本当に許せないと思う人のことは言葉にも出しません。
ある意味、許せないって言うことの感情を自分が口に出すのも嫌なんですね。だから私は高校時代、父のこと一言もしゃべったことがないんです。なぜか?途中でいなくなった父に対して、どう言う事情であれ、母が苦労してる姿を見たからですね。許せない!この人は絶対許してはならない!と思う人のことは語りません。これはある意味、その人のことを愚痴を言ってるって言うことは、愛情があるからだと思うんです。それよりももっと私の方がクールでシビアなのかもしれません。
私は父が大好きでした。そんな父が途中でいなくなり、差し押さえ、借金返済するために、いろんな恐ろしいタイプの人たちがお見えになりました。そういったことも含めて、母が月に100万円ずつの借金返済。それをそばで見てた私は、やっぱり言葉にも出したくないぐらい、父に対しての怒り、腹立たしい感情、もっと言うと憎悪にも似たような感情がありました。だから誰にも語らなかったんですね。
高校時代の友人たちに、父のことを話したことは一度もないです。だから私の結婚式の時に父がいる姿を見て
「千恵、あんたお父ちゃんおったっん?」て言いました。それくらい多分私は0か100か、嫌なものは徹底的に声にも出さない、口にも出さない。これが自分の中の心のけじめなのかもしれません。
ですが、私が父を許せるようになったのは46歳の時です。
なぜ46歳なのかって言うと、私自身は42歳の時にメイクさんの髪型がとっても素敵で、私の「初対面の1分間で相手をその気にさする技術」であったり「仕事ができて愛される上品な作法」の書籍の表紙のメイクをしてくださる、その女性の髪型がとっても素敵で是非ともその髪型、どこでカットされてるんですかって言うことで、渋谷にあるパークストリートの中山先生をご紹介頂きました。
そこからずっと中山先生に髪を切ってもらってまして、塾生も何百人と紹介させて頂きました。もう見違えるように変身するんですね。そこも含めて、中山先生がある時、46歳の時です。
「朝倉さんは、朝倉さんを見てるとお父さんの存在を感じるんだけど、父さんはいらっしゃるんですか?」って言う話があって
「います...」ですが、
「父は人柄いいせいか、人の手形の裏番をして保証人になって1億円の借金を作って、その1億円の借金を返済するために母がものすごく苦労しました。」
「母が脳梗塞で倒れ、商売もできなくなって....」
そんな話を初めてしたんですね。
その時の中山先生から言われた一言
「朝倉さんはお父様を許せるようになると、ここからおそらくいいことがたくさん起こるでしょうね!」って言うような言い方をされたんですね。「お父様を許せるようになると...」って言うコメントだったんです。その時中山先生は、私が父を許さないって言う感情をきっと気がつかれたんでしょうね。「お父さんも許せるようになると、あなたの人生は良くなりますよ!」って言うようなニュアンスでお話をしてくださいました。
そこからです。
なぜ父が人の手形の裏番をして保証人になったのか。きっと人を助けようとしたからだと、それを声に出したのは56歳の時でした。このVoicyでもそんな話はしたことがあります。許せないって言う感情があまりにも強くて、まあ恨み、憎しみにも満ちたような感情がありましたね。
だから私の本の中にも、初期の本は父のことあんまりいいこと書いてません。
「お父さんごめんやで!」って感じですけどもね。
まあそれくらい、今思えばそれも依存心だったんだな...自分が大好きだった父、その大好きな父が大嫌いになると言うことも、これもやっぱりコインの裏返し、コインの裏表と同じなんです。
好きだからこそ、憎しみも湧くって言うことも多々あったのかなと思います。父の発言で納得できないこともありました。高校の時、入学金を払えなくて、父が「入学金を待ってほしいと言うことを先生に伝えろ」と、なんで子供の私が入学金待ってくださいて頼まなきゃいけないのかって言う、ここにも違和感を感じ、ある意味、憤りを感じる瞬間でもありましたね。
母が叔母からお金を借りてくれて、入学金を払えるようになったんですが、そう言う印象に残る事柄って忘れられません。「なんだこの、なんだこの父は!!」と思った感情もその時芽生えましたね。そしてそこから許せない、感情がもう15歳の時からですから、31年間「許せない」感情があったわけですね。こんなに長く「許せない」感情があるわけですから、その後父と再会したとしても、決していい顔をするような娘ではなかったと思います。
本当に許せるようになってからって言うのは、実は短いんです、時間がね...今思うと許せるようになったことによって、自分も子を持ち、子供を育て、そして様々な方からいろんな教えを受け、学びを深め、その時、親がどう言う心情をどう言う感情で発言をするようになったのかって言うことも、やっと理解できるようになったんですね。
だから父を尊敬したかって言うと恨んでました。ですが、自分が未熟だったからこそ、悪いところしか見えなかったんです。それが自分自身も4000万円の借金を抱え、4000万円の借金を全て返済ができ、今日に至るプロセスの中で、どれだけ多くの方々から支えられて生きているのか、父は会うたんびに
「おごり高ぶったらあかんで!今日お前があるのは支えてくれてる人のおかげや。社員さんを大事にしや、社員の家族を大事にするんやで!」って耳にタコができるほど言われました。
でもその時はセリフとして聞いていても、本当に心の奥深くまで浸透してたかって言うと、もしかしたら聞き流してるところも多々あったんではないかなと思うんですね。
でも今はその親の教えが本当によくわかるようになったんです。それは自分も数多くの、体験、裏切り、憎しみ、悲しみ、いろんな葛藤を乗り越え、今があるからですね。
許す心を持てるようになって、初めて両親の教えがどれだけ重要だったのかって言うことに気づけるようになったんです。
今回、質問者さんから「それって朝倉先生のご両親がたまたまできた人だったから成り立ってるだけでは?」って言う、否定的な気持ちが浮かぶと言うようなメッセージをくださいましたが、私は全て否定的でした。
自分の感情が否定的で、親の教えなんか素直に入ってくるわけないですよね。結果、何が言いたいかと言うと「全ては原因は自分なんですよ」親が変わったわけではないんです。
自分が変わったんです。
自分の解釈が変わったんです。
自分の理解力が変わったんです。
自分の相手に対する許す心が変わったんです。
今回、質問者様にとっては、もしかしたらこの私の言い方があってるかどうか分かりませんが、私が体験、経験したように、相手に対する依存心がある時は、恨みつらみの念が強かったです。
ですが、相手が変わるわけではないんです。
お父様、お母様が変わるわけではない!
だからこそ、自分の意思、自分の価値観、自分のものの見方考え方を変えない限り、親子の関係性が良くはならない。
これまでも質問者さんと同じような質問を数多く受けてきました。もちろん、環境も同じだとは言えないんですが、例えば自分が親元離れ自分で料理を作り、洗濯をし、そして子供を産み、子供を産むことによって子育てがこんなに大変なのかって言うことを気づいて、初めて親に対して感謝の念が湧いたとか。そんなことを言ってくださる方もいれば、親元で生活をしながら洗濯もしてもらったり、いろんなことをしてもらいながら、親のことを文句を言う人もいました。
親元離れてからものを言え!と、私は塾生たちの率直にそう言うことも言いました。元社員に対しても言いました。自分が食べ終わったものを、朝誰が片付けてくれてるのかと。一人暮らしの私は、どんなに酔っ払ってても必ず自分で洗い物全てやります。なぜならば、次の日、結果的に自分でやらなくてはならないからですね。
ソファーで寝てる時に布団をかけてくれたり、それも当たり前ではないです。一人で暮らすことによって、してもらうことがどれだけ素晴らしいことだったのかって言うことも、後付けでわかることもあるわけですね。
ちょっと脱線したかも分かりませんが、参考にしてくださいね。
改めて、質問者様からの質問に対する答えを出しながら、自分自身も31年間も許せてなかったんだと思うと、かなり強いですよね。私はやっぱり好き嫌いははっきりしてるんだなって言うことも含めて、好きの裏返しかもわからないですよね。
思いの強さが怒りの強さ!
自分が好きだからこそ、本当に好きだからこそ、より一層いろんな感情がわくのではないかなと思います。
他人に対してはそうは思わないですよね。
関係性が希薄な人に対しては怒りの感情なんかないですよね。きっと関係性が深いからこそ、いろんなことを感じるのではないかなと思います。
ご両親、大事にしてください。
ご両親が変わるわけではなく、自分自身がものの見方考え方が変わり、失った後で後悔することいっぱいあります。
私はもっとできることがあったんではないかと思うことだらけなんですよ。
もっと早く許せてあげれば、
もっと早く私が成長していれば、
もっと父からいろんなことを聞けたのにな、
もっともっと会話ができたのにな、
後悔ばっかりです。
ですが、天国にいる両親は今も見守ってくれてるなって言うことは感じます。
夢には1回も出てきたことはないです。
高井先生はしょっちゅう出てこられます。
すごいなと思いますね。
ありがとうございます。